かえる
超後編 「変える」



 「ふあぁ〜あっ・・・・・・」

 俺はベットの上で大きな欠伸をする。

 「・・・・・・暇だ」

 上体をおこし、今読んでいた雑誌を床に乱雑に放り投げ、新しい雑誌を物色する。

 「ぐはぁっ!もう読んだヤツばかりだ」

 そのままばったりとベットに寝転ぶ。

 気だるい土曜日の午後。

 いつもなら名雪とどこかに出かけたりするのだが、今日の名雪はけろぴーのとりこで部屋にこもったまま出てこない。

 真琴は秋子さんと一緒に買い物に行ったまま帰ってこない。

 そんなこんなで俺は、自室でひとり暇をもてあましていた。



 コンコン

 誰かが部屋の扉をノックした。

 「空いてるぞぉ〜」

 俺は間延びした声で返事をする。

 ガチャッ

 扉をゆっくりと開けて、けろぴーを抱えた名雪が部屋に入ってきた。

 「祐一〜」

 「何だ?名雪」

 「けろぴーが祐一とお話ししたいって」

 「は?けろぴーが?」

 『そうだ、祐一君。私は君と話がしたい』

 名雪に抱かれたけろぴーが自己主張をする。

 「俺がけろぴーとか?何で?」

 俺は拒否の言葉を吐き出す。しかし、内心では良い暇つぶしになるのではないかと思っていたりもした。

 「祐一、私からもお願いだよ。けろぴーとお話しして」

 名雪がつかつかと俺の傍まで歩み寄り、けろぴーを優しくベットの上に座らせる。

 「それじゃあ、私、行くね」

 「え?名雪は一緒じゃないのか?」

 「けろぴーが祐一と二人っきりで話をしたいっていったんだよ。だから、ね」

 「けろぴーがねぇ」

 俺は傍らのケロピーを見つめる。

 「それじゃあ祐一、けろぴー。またあとでね」

 名雪はそういうと、静かにドアを閉じた。



 『さぁ、祐一君。男同士二人っきりで、ゆっくりと話をしようじゃないか』

 名雪が出て行ったあと、けろぴーがやけにはりきって語りかけてくる。

 「男同士って、けろぴーにオスとかメスとかあるのか?」

 『はっはっはっー、実はあるんだよ。私はれっきとした漢だ』

 「漢って・・・・・・」

 俺はけろぴーを持ち上げ、その股間をマジマジと見る。

 『ゆ、祐一君。私にその気はないのだが!!』

 慌てるけろぴー。

 「アホかっ!」

 俺はけろぴーを乱雑にベットの上に座らせる。

 『うおっと!祐一君、人にはもう少し紳士的に接するべきだぞ。これじゃあ、いくらなんでも乱暴過ぎる』

 「お前は人形だ」

 『私だって人形になりたくてなったわけではないんだよ。ただ、この人形しかなかっただけなんだ』

 「何の話だ?」

 『繋がりさ』

 「つながり?」

 わけのわからないことをいう蛙である。

 『祐一君―――』

 「何だ、けろぴー。急に改まった声をだして」

 『―――君には感謝をしているよ』

 「は?感謝?いきなり何をいい出すんだ?俺はお前を苛めたことは数え切れないが、感謝されるようなことをした覚えはないぞ」

 俺はアゴに手をやりながら考える。

 『はははっ。私のことについてではないさ。秋子と名雪についてだよ』

 「秋子さんと――――――名雪?」

 俺の脳裏に二人の姿がふっと浮かぶ。

 『私はね、あの日以来ずっと秋子と名雪を見て来たんだよ』

 「なんだ?あの日って。いつのことだ?」

 『遠い、遠い昔の日さ』

 けろぴーが遠い目をする。少なくとも俺にはそう感じられた。

 『あの日以来、二人は何かを失っていたんだ。表面上どんなに穏やかに見えても、二人の心には何かが欠けていたんだよ』

 けろぴーは、淡々と話を続ける。

 『だがね、君に会ってからあの二人は変わった。君は二人の心に安らぎを与えてくれたんだ』

 けろぴーの声に優しさがこもる。

 『一度君は二人の前から消えた。そのときは、正直いって君に怒りを覚えたよ。まだ幼かった君に対してだ。今考えると非常に恥ずかしいことなのだが、あのときは感情を押さえることができなかったんだ。また二人に悲しみを味あわせるのかってね。けどね、君は帰って来た。そう、私と違ってね』

 「違って?」

 『君は帰ってきた。強くなって帰ってきた。そして秋子と名雪に再び安らぎを与えてくれた。それだけでなく、二人の支えになってくれた。そして、二人の何かを変えてくれたんだ』

 そしてけろぴーは『ありがとう』といった。

 その言葉を聞いて、俺は首を横に振った。

 「俺は―――強くなんかない。俺は何も与えていない。誰も変えていない。変えてもらったのは、俺の方だ―――俺が二人に変えてもらったんだ」

 『そういわせるのは君の優しさだ。君は優しさを持って帰ってきたんだ。その優しさで秋子と名雪を救ってくれたんだ』

 「俺は―――」

 『そして、この家に再び家族というものをもたらしてくれたんだ』



 家族―――

 暖かな場所。

 人と人との繋がり。

 帰るべき処。







 『祐一君。ヒトは何故泣くのだろう?』



 『ヒトは何故、悲しみを感じるのだろう?』



 『悲しくて泣く生き物はヒトだけだ』



 『悲しみがなければ、ヒトの一生はもっと平穏だろう』



 『だがね、悲しみを感じることができるのがヒトだけなら、悲しみを乗り越えることができるのもヒトだけなんだ』



 『ヒトは悲しみを超えて、強くなることができる』



 『ヒトは哀しみを知って、優しくなることができる』



 『その優しさは、人を救うことのできる力』



 『全てを包み込むことができる、暖かくて大きな力』



 『悲しみがあるから喜びがある』



 『哀しみを知るから幸せを知る』



 『どちらか一方ではない。どちらも両方なのだよ』



 『そして、それらを全て受け入れることができたとき』



 『ヒトは人間へと成長できる―――』







 俺は―――俺は、受け入れることができたのだろうか?

 あの、7年前から続く全てを受け入れることができたのだろうか?

 俺は―――





 『私はずっと見ていたよ。祐一君、君は強くなったな―――』





 ああ、そうか。

 そうだったのですね。

 あなたはずっと二人の傍にいたのですね。

 秋子さんと名雪をずっと見守っていたのですね。

 「けろぴー、いや、あなたは―――」

 『私はけろぴーだよ、祐一君』

 あなたは、名雪の―――





 コンコンッ



 そのとき、誰かが部屋の扉を叩いた。







 ガチャッ

 「祐一―――」

 真琴が扉の間から顔を覗かせる。

 「―――晩ご飯よ」

 「今日は、早いんだな」

 そういって、俺は窓の外を一瞥する。

 空に輝く真っ赤な夕日―――

 「お母さんが、今日は早めの夕食にしましょうって」

 「そうか」

 「けろぴーもちゃんと連れてくるのよ」

 「ああ、わかってるって」

 俺は傍らのけろぴーを見る。

 『真琴君も、君と同じさ』

 けろぴーが俺にだけ聞こえるような声でいった。

 『今のこの家には君と真琴君という、本当の意味での家族がいる。だから私は安心して―――』

 俺はけろぴーの言葉を全部聞く前に、けろぴーを抱き上げダイニングに向かった。

 何故なら、その言葉の最後を聞きたくなかったから――――――







 『いっただっきまーす』

 全員が食卓に着いたところで食事が始まる。

 夕食はご飯に豆腐の味噌汁。唐揚にほうれん草のお浸し。そしてナスのヌカ漬。

 「な〜す、な〜す」

 嬉しそうにナスをつつく名雪。

 「唐揚、唐揚!ほらっ、ぴろにもあげるわね」

 おいしそうに唐揚を頬張る真琴。

 「な〜す、な〜す」

 「こら、待て真琴!それは俺の唐揚だ!」

 「な〜す、な〜す」

 「にゃ〜」

 「な〜す、な〜す」

 「名雪、ナスばっか食ってんなよ」

 「秋ナスは嫁に食べさせちゃだめなんだよ〜。だから今のうちに食べておくんだよ〜。だって、祐一と結婚したら・・・・・・ぽっ」

 頬に片手をあて、もう一方の手でナスを振り回す名雪。

 「な〜にが、『ぽっ』だ!だいたいこれは、ナスのヌカ漬だぞ!」

 それに今の季節は秋ではない。

 「真琴はナスよりもお肉の方が好きよ」

 いいながら、真琴が次々とオレの唐揚を奪っていく。

 「あ、真琴!俺の唐揚を全部・・・・・・このっ、返せ!」

 俺は真琴の皿から唐揚を奪い、口に放り込む。

 「あっ、私の唐揚!何すんのよ、祐一!」

 「うーむ、でしりゃす」

 「あうー、祐一が私の唐揚食べた〜!!」

 泣きまねをする真琴。

 『おお、真琴君、かわいそうに。そうだ、私の分を食べなさい』

 「いいの?けろぴー」

 『遠慮せずに、さぁ』

 「わーい、ありがとう。もぐもぐ・・・・・・」

 遠慮なしに唐揚を食べる真琴。

 「いいんですか?」

 俺はけろぴーに問う。

 『いいんだよ、祐一君。どうせ私は食べれないしな』

 心なしか、けろぴーの横顔が寂しそうに見える。

 「うーん、何とかして味あわせてあげたいんですが――――――そうだ!俺が実況してあげますよ」

 俺はずずっと味噌汁を飲む。

 「う〜ん。信州赤味噌の豊かな風味。ダシは日高昆布と煮干と、あと、何だ?何か隠し味が入っているような・・・・・・」

 ちらっと秋子さんを見る。

 「企業秘密です。祐一さん」

 秋子さんが、人差し指を立てながらニッコリと微笑む。

 「企業秘密ですか。うーん、気になるなぁ」

 「大丈夫ですよ、祐一さん。名雪にはちゃんと教えてありますから」

 平然といいのける秋子さん。

 『そうか。それなら安心だなぁ、祐一君』

 愉快そうにいうけろぴー。

 「ぐはぁっ!ま、まぁ、気を取り直して、実況の続きを。えーと、次は具の豆腐。この豆腐は絹ごしだな。にがり以外に添加物が使われていないとみた。そのため、大豆本来の味が生かされており――――――」

 『祐一君、実況されると余計にツライのだが・・・・・・』

 5人と猫一匹の楽しい食卓は、いつまでも続く―――





 『秋子―――』

 「はい」

 『賑やかだな』

 「家族が増えましたから」

 『立派なお兄さんと可愛い妹だな』

 「はい」

 『これなら―――大丈夫だな』

 「・・・はい」

 『今日一日、楽しかったよ』

 「私も―――です」

 『もうすぐ、日没だ』

 「帰って―――還ってしまうのですか?」

 『ああ・・・・・・』





 「え?けろぴー帰るって、どこへ帰るの?」

 真琴がキョトンとした顔でけろぴーを見つめる。

 『遠い―――ところさ』

 「また、戻って来る?」

 『いや、お別れだな』

 「やだ」

 けろぴーの言葉に、名雪が小さな声で、しかし強い口調で反応した。

 「帰っちゃ―――ヤダよ」

 名雪がケロピーに抱きつく。

 強く、強く抱きしめる。

 そっか、やっぱり名雪も気付いてたか。

 当然だよな。

 「けろぴー、いつまでもここいて」

 『名雪―――』

 「真琴も帰って欲しくない」

 『真琴君―――』

 「あうー、けろぴーは暖かくて、優しくて、大きくて、広くって、何ていったらいいか真琴にはよくわからないけど、けど、とっても懐かしい感じがするの」

 真琴もけろぴーの手を掴む。

 『名雪、真琴君、祐一君、秋子―――』

 けろぴーが落ち着いた声で話し始める。

 『今日、私がここに居るのは偶然なんだよ。そう、奇跡といったらいいのかな?どうしてここに居ることができたのかは良くわからない。よくわからないが、一日限りの奇跡だというのはわかるんだ』

 ―――奇跡。

 願い続けたから一日だけ起きた奇跡。

 長い間、ずっと長い間見守り続け、幸せを願い続けたから。

 ずっと―――

 『ほら、外を見てごらん。もうすぐ日が暮れるだろう。私がここにいられるのは、太陽が沈むまでだ』

 全員、一瞬外を見る。

 真っ赤な夕日が、今にも山の端に隠れようとしている。

 『今日一日、短い間だったけど、久しぶりに家族に会えた。家族を感じることができた。それだけで私は幸せさ―――』

 けろぴーの声が少しずつ遠くなっていく。

 「けろぴー・・・・・・」

 真琴の瞳に涙が浮かぶ。

 「・・・」

 名雪が無言で、さらに強くけろぴーを抱きしめる。

 まるで、けろぴーがどこにも行かないように。

 けろぴーをどこにも行かせないように―――。



 けろぴーは言葉を続ける。

 『私はただ還るだけだよ。何も悲しいことはないさ。そう、もとに戻るだけ。初めから私はここにいなかったのだから―――』

 日が暮れる。

 太陽が沈んでいく。

 一日が終わる―――

 『秋子―――』

 「はい・・・」

 『―――最後に笑ってくれないか?』

 秋子さんが一瞬顔を伏せ、目尻を押さえる。

 そして顔をあげ、最高の微笑みを大事な人に向けた。

 『そうだ、秋子。お前には笑顔が一番だ―――』

 けろぴーの声が霞んでゆく。

 そしてけろぴーは、何も喋らなくなった。











   *   *   *



 雨が降っている。

 冷たい雨が降り続いている。

 俺は雨の中、そこに佇んでいる。

 傘にしずしずと雨粒があたる。

 雨が降っている―――



 「祐一さん?」

 後ろから声をかけられる。

 振り向くとそこには、包みと花を抱えた秋子さんが立っていた。

 「一人ですか?」

 「はい」

 「おじゃまでしたか?」

 「いえ、そんなことありません」

 「そうですか」

 秋子さんがゆっくりとこちらへ歩いて来る。

 「雨ですね」

 俺は秋子さんに話しかける。

 「昨日、夕焼けだったんですけどね」

 秋子さんが空を見あげながら答える。

 「きっと、空も悲しくて泣いているんですよ」

 俺も空を見あげながらいう。

 「そうですね」

 秋子さんが軽く頷く。

 雨が降っている―――



 「祐一さんは、どうして今日ここへ」

 「なんとなく―――です。本当は名雪と真琴と、あと秋子さんを誘おうかと思ってたんですけど―――」

 俺は傘の外に手を出す。

 「―――今日はこの通り雨ですからね。みんなとは、今度晴れた日に来ようかと思って」

 「そうですか」

 秋子さんがゆっくりと頬に手を置く。そして俺の傍らに立ち、雨にぬれた墓石を見つめた。

 「祐一さん―――」

 「はい」

 「―――ありがとうございます」

 「いえ・・・・・・」

 秋子さんが墓石の前に屈む。

 「命日は、まだずっと先なんですけどね」

 そういって秋子さんが持っていた花を墓に添える。

 「昨日は―――あの人の誕生日でした」

 「そうだったんですか」

 秋子さんが包みを開く。

 そして、その中身をお墓にそなえた。

 それは唐揚とナスのヌカ漬。

 そしてオレンジ色のジャム―――

 「あの人の好物なんです」

 「それで昨日の夕食は・・・・・・。けど、今日は雨だからぬれてしまいますよ」

 「そうですね。今度は晴れてる日に持って来ますからね」

 秋子さんが墓石に微笑みかける。

 そして両手を合わせて目を閉じた。

 俺も同じ様してに目を閉じる。

 雨音だけが、しずしずと聴こえてくる―――



 ゲコゲコゲコ

 「あ、蛙ですよ」

 ゲコゲコゲコ

 蛙が墓石の脇から飛び出して来た。

 降って来る雨の中、嬉しそうに鳴き声をあげる。

 「そういえば、どうしてけろぴーだったんですかね」

 「あの人形は、あの人が買ってきたものなんです」

 「え?」

 「名雪が生まれたとき、あの人が『名雪に』って買ってきたお人形なんです」

 「そう―――だったんですか」

 「女の子にあんな大きな蛙の人形を買ってくるなんて、変な人ですよね」

 「ははは・・・、そうですね」



 ―――雨が降っている。

 しとしとと雨が降り続いている。

 蛙は飛び跳ねながら、草むらの陰へと消えていった。





(完)














矢蘇部「おおう!」

あかり「どうしたの?」

矢蘇部「いつの間にかシリアスになってる!」

あかり「またなの?」

矢蘇部「そうだ!この話、構想当初は完全ギャグのはずだったのに!」

あかり「あらそう。けど、これはこれでいいんじゃない?」

矢蘇部「そうかな?」

あかり「そうよ。あんたシリアス書けないんだからさ、偶然できて良かったじゃない」

矢蘇部「なんかひっかかるいい方だなぁ」

あかり「気のせいよ」

矢蘇部「そうか?」

あかり「そうよ。ほら、過ぎたことをいつまでも考えてないで、次のSSを考えなさい」

矢蘇部「ちょっと待て、オレ今これ完成させたばかり・・・・・・」

あかり「あんたみたいな三流SSライターは、数書いてなんぼでしょ」

矢蘇部「それはそうだが、少しぐらい休みがあったって・・・」

あかり「甘い!あんたにそんなもんは必要ない。ほら、書け〜」

矢蘇部「へいへい。わかりましたよ。書きますよ」

あかり「わかればよろしい。それではみなさん、次の作品でまた会いましょう」




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