石橋先生の憂鬱(後編)





コンコン

「水瀬か。入れー。」

がらがらがらがら

「失礼しま〜す。」

水瀬が教室に入ってきた。

「まあ、とりあえず座れ。」

「はい。」

水瀬が席に腰掛ける。

水瀬は、外見は少しトロンとした女の子である。

しかし、その中身は測り知れない。

特に、去年相沢が転校してきてから、さらに判らなくなってきた。

「それで、進路面談をやるわけだが、水瀬は何か考えていることがあるのか?」

無言。

「おい、水瀬。」

やはり無言。

「無視するなよ。先生泣いちゃうぞ。」

それでも無言。

いや、よく聞くと何か音が聞こえる。

「く〜・・・・・・」

寝てやがる。

「水瀬!起きろ!」

「はいっ!」

水瀬が慌てて目を覚ました。

「あの〜、何ページですか〜?」

「今は授業中じゃないぞ。」

「あっ・・・」

「今は面談中だ。」

「そうでした。私てっきり授業中かと・・・」

「水瀬はいつも私の授業で寝ているからな。」

「先生の授業だけじゃないですよ。加藤先生の時も、板倉先生の時も、山川先生の時も寝てますよ。」

「わかった。もういい。」

私はため息をつく。

「原田先生の時も、玉田先生の時も・・・」

「もういいって。」

どうも水瀬と会話すると、こちらのペースがつかめない。

「それで、水瀬は何になりたいんだ?」

「く〜」

「寝るな!」

「はっ・・・なんですか?」

「だから、水瀬は何かなりたいものがあるのか?」

「なりたいもの?」

「そうだ。」

やっと、進路面談らしくなってきた。

「ネコがいいです。」

「何?」

進路面談らしくなったのは一瞬だけだった。

「私、ネコになりたい。」

「冗談でいってるのか?」

「本気です。」

目が本気(マジ)だ。

「なぁ、水瀬。人間はどんなに成長しても猫にはならないと思うが。」

「大丈夫です。」

「どうして?」

「香里に相談したら、『私がネコにしてあげるわ。』って言ってました。」

美坂ならやりかねん。

「いや、しかしネコってのは・・・」

こんなもの調書に書き込めないぞ。

「ネコになります。」

ダメだ。

こういう時の水瀬は、決して意見を変えない。

「わかった。じゃあ、第二志望はなんだ?」

これを第一志望として書き込もう。

「第二志望はふさふさのカエルです。」

第二志望はネコよりも酷かった。

「なんだ、そのふさふさのカエルってのは?」

「けろぴ〜です。」

しかも、わけがわからなかった。

「けろぴー?」

「けろぴ〜」

「なんだそれは?」

「かわいいんです。」

「ああ、そう。」

ダメだこりゃ。

仕方がない。

「じゃあ、第三志望はなんだ?」

「第三志望ですか?」

「そうだ。」

今度こそ、マトモな答えが返ってくるだろう。

「くらげ」

期待した私が愚かだった。

「毎日、海にプカプカ浮いてて気持ちよさそう〜。」

確かに、水瀬には合っているかもしれないが・・・

「水瀬、なんかこう、行きたい大学なんかはないのか?」

初めからこう聞けば良かった。

「・・・」

無言

「おい、水瀬。」

「く〜・・・・」

また寝てる。

「起きろ!」

「く〜・・・」

「お・き・ろ!!」

「ふぁ〜い」

やっと目を覚ました。

「にゅ〜、終わりですか〜。」

「いや、まだ終わりではないんだが・・・」

「終わんない〜?」

水瀬はすごく眠そうだった。

これ以上続けても何か進展があるとは思えない。

「わかった。今日は終わりだ。」

心の中で、ため息をつく。

また、今度、眠そうじゃないときに行なおう。

「終わりですね〜。」

そういって、水瀬がフラフラと立ち上がる。

「それじゃ〜、先生〜、さよ〜なら〜。」

水瀬はヘロヘロと教室から出て行った。

その後ろ姿を見ながら私は考えた。

「水瀬が眠くない時なんて、あるのだろうか?」

きっと、いつ面談をやっても今日と変らないだろう。

「はぁ、面談調書どうすっかな?」

何も書かれていない調書を見ながら私は頭をかかえた。





「最後は、相沢か。」

進路面談の最後の一人である。

つまり、最後まで触れたくなかった人物である。

去年、転校してきた時から変だったが、このところ輪をかけて変になってきた。

「あいつは、水瀬以上に何を考えているのかわからん。」

しかし、芯は結構しっかりしているので、きちんとした将来へのヴィジョンは持っているかもしれない。

私は淡い期待を抱きつつ、相沢が来るのを待った。





一時間たった。

面談終了の時刻から一時間がたった。

しかし、相沢は来なかった。

「あーいーざーわー!」

相沢を終わらせなければ、すべてが終わったことにならない。

けじめだ。

絶対に面談を終わらせてやる。

これは、私の教師としての意地だ。

私は一度職員室へ戻り、相沢の住所を調べ、面談を終わらせるべく相沢の居候している家に向かった。



   *   *   *



そのころ祐一は・・・



「名雪、映画館に入る前にジュースとお菓子を買っておこう。」

「じゃあ、私が飲み物を買ってくるよ。祐一は何がいい?」

「オレはコーラを頼む。」

「まかされたよ〜。」



祐一は、面談を終えた名雪とデートをしていた。



   *   *   *



ピンポーン

石橋は、水瀬家のドアベルを押した。

「はい。」

家の奥から女の人の声が聞こえてくる。

「相沢、絶対面談を終えてやるぞ。」

石橋は玄関の前で一人燃えていた。

ガチャ

玄関のドアが開いた。

「あら、石橋先生。こんばんは。」

ドアから顔を覗かせた秋子が石橋に挨拶をする。

「あ、こんばんは。」

石橋はぎこちなく挨拶をした。

石橋は独身である。

きさくな性格なので、彼女は結構すぐにできるのだが、どうも長続きしない。

前の彼女とも、別れてからだいぶ経つ。

よって石橋は、久しぶりに婦人を目の前にしてあがってしまったのだ。

「こんな時間にどうしたんですか?」

秋子が石橋に優しく尋ねた。

「あ、あの、相沢いますか?」

「祐一さんですか?」

「はい、そうです。」

石橋はもはやカチコチである。

「すいません。祐一さんは、まだ学校から帰って来ていません。」

秋子はすまなそうな顔をする。

「そうですか・・・」

石橋もつられてガックリ肩を落とす。

相沢がいなかったことに落胆を憶えたというよりは、秋子の表情につられたと言ったほうが正しいだろう。

「祐一さんに用があったのですか?」

「はい。相沢が進路面談をすっぽかしたので・・・」

しかし、その肝心の相沢がいないのだから仕方がない。

明日、相沢を呼び出そうと、石橋は考えた。

「あのー、石橋先生?」

「はい?」

「祐一さんが帰ってくるまで、上がって待っていて下さい。」

そう言って、秋子は扉を大きく開けた。

「いや、それは、しかし・・・・」

しどろもどろになる石橋。

「遠慮することありませんよ。」

秋子がそっと石橋の手をつかむ。

この状態で断れるほど石橋は朴念仁ではなかった。

「それじゃあ、お言葉に甘えて・・・・」

石橋は秋子に手をひかれながら、家にあがっていった。



家にあがってから、石橋は秋子と主に名雪と祐一のことについて話をして過ごした。

話が一段落ついたところで、ふと、時計を見てみる。

時刻は7時を指していた。

すでに、この家にお邪魔してから一時間程経っていることとなる。

「祐一さん、遅いですね。」

「ほんとうですね。」

石橋は、まさかこんなに時間が経っているとは思いもしなかった。

久しぶりに女性と話込んだので、時の流れるのにも気付かなかったのだ。

実際、秋子の見た目は、とても1児の母には思えない。

それなりの格好をすれば、大学生と言っても充分通用する。

そのような若い女性と一緒に話をするなどとゆうことは、近頃の石橋の生活には無かったことである。

「石橋先生。」

「はい。」

「あの、折角ですので、夕飯をお食べになりませんか?」

「ゆ、夕食ですか?」

石橋はちょっと考えた。

人の家に上がりこんで、あまつさえ夕食まで頂くのはどうだろうか。

しかし、目の前の美人の手料理を食べられるのである。

躊躇している石橋に秋子が尋ねた。

「ご自宅に夕飯が用意していらっしゃるのですか?」

「いえ、ありません。」

「だったら、食べて行って下さい。」

そう言うと、秋子はキッチンの奥に消えていった。

石橋は、秋子のマイペースなところをみて、『やはり水瀬と親子なんだな。』と妙に関心した。



「うまい。」

秋子の手料理を食べ、石橋はうなった。

今日の料理は、鮭の塩焼きと春菊のお浸し。そして、ほうれん草のゴマ和えと南瓜の甘煮。

ただでさえ秋子の手料理は絶品である。

ずっとレトルト食品や店屋物ばかりを食べていた石橋には、なおさらおいしく感じられた。

「ほんとにうまいっす。」

「ありがとうございます。」

秋子は頬に手をおき、ニッコリと微笑んだ。

「ところで、石橋先生。お酒なんかはいかがですか?」

そういって、秋子がビールを差し出す。

「うちでは誰もお酒を飲む人がいなくて、処理に困っていたのです。」

そういいながら、石橋のコップにビールを注いでいく。

「いや、アルコールはちょっと・・・」

石橋は、一応断る。

しかし、秋子に勧められてきっぱりと断れる程、石橋は人間ができていなかった。

「まあ、一杯どうぞ。」

「それじゃ、一杯だけですよ。」

そういって、石橋はいっきにビールを飲み干す。

「もう一杯、いかがです?」

秋子がさらに勧める。

「せっかくですから、頂きます。」

再び、コップにビールを注いでもらい、また一気に飲み干す。

もう、石橋には、自分で自分を止めることなどできなかった。



   *   *   *



「うーん、結構遅くなっちゃったね。」

「名雪が2度も見ようって言うからだ。」

「だって、ネコさんがかわいかったんだもん。」

「ネコが出る度に、隣で超音波みたいな声を出しやがって。周りの人が睨んでたぞ。」

「う〜、反省してるよ。」

オレと名雪は、たわいない会話をしながら家路についていた。

「祐一、寒いね。」

「我慢しろ。もうすぐ家だ。」

「む〜」

となりで名雪がむくれはじめた。

なんだと言うのだ?

「こ〜ゆ〜時は、男の人が女の人を優しく抱いて『ほら、暖かいだろ』って言うんだよ。」

「漫画の読みすぎだ。ほら、もう家だぞ。」

「祐一、ロマンがないよ〜。」



家の前に着くと、中から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

「あれ、お客さんかな?」

「珍しいな。誰だろ?」

がちゃ

扉を開けて、名雪を先に通してやる。

「ただいま〜。」

「ただいま。」

すると、秋子さんがリビングの方から出てきた。

「名雪、祐一さん、おかえりなさい。」

そして、その後ろから、変な生物がわいてきた。

「よお、水瀬、相沢。」

「せ、先生!」

「い、石橋!」

オレと名雪は同時に声をあげた。

「なんで、石橋がいるんだ?」

オレ、何か悪い事したっけ?

思いあたる事はたくさんある。

ど、どれだ?

「なんでも、」

秋子さんが答える。

「祐一さんが、進路面談をすっぽかしたので、わざわざ家までやってきたのだそうよ。」

「あ!」

しまった。

そんなこと、すっかり忘れていた。

まずいなー。

進路の事など何も考えてないぞ。

オレは視線を石橋の方に向けた。

「相沢ー、さあ、進路面談をやるぞぉー。」

石橋は酔っ払っていた。

顔は真っ赤で、足元もおぼつかない。

かなり飲んだのに違いない。

いったい、ここで何があったのだろうか?

「相沢ー、お前は何になりたいんだー。」

石橋が顔を近づけてきた。

うっ、酒臭い。

「なりたいものですか?」

えーと、えーと・・・

ええい、チクショウ!どうとでもなれ!

「大統領!」

オレは胸を張ってそう宣言した。

「大統領だと!」

大声を出す石橋。

まずい、さすがに怒ったか?

「よくいった!相沢!それでこそ男だ!」

石橋は、既にとことんぶっ壊れていた。

「そーか、そーか、先生は嬉しいぞ!」

そういいながら、石橋は泣き出した。

「これで、用事も終わった。よーし、帰るぞ!」

石橋が玄関の方にはって行く。

「秋子さん、夕飯ごちそう様でした。」

この教師は、夕飯まで頂いたのか。

「石橋先生。」

秋子さんが呼び止める。

「これ、お土産です。」

そういって、秋子さんは石橋に、オレンジ色のジャムの入った瓶を手渡した。

秋子さん、止めを刺す気ですか?

「これはこれはかたじけない。ありがたくもらって置きます。」

満面の笑みで受け取る石橋。

「それでは、さよーなりー」

石橋はでかい声で挨拶をしてから、玄関を出て行った。

「祐一、石橋先生・・・」

「いいんだ、名雪。オレ達は何も見なかった。」

「うん。そうだね。」

オレと名雪は今の出来事を記憶から消去しようと努力した。



次の日 石橋は学校に来なかった。

後で聞いた話によると、

朝、起きてからあの日のことを振り返り、

留めない後悔にさいなまれ自己嫌悪に陥り、

さらに酷い二日酔いで苦しんだ挙句、

朝食に秋子さんからもらったあのジャムを食べてしまい、

そのまま救急車で病院に運ばれたらしい。

合掌。



(終わり)



長かったあぁぁぁぁ。
まさかこんなに長くなるとは思わなんだ。
それにしても、石橋先生の性格がメタクソだな〜


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