追う理由
親父が少女を追いかけていた。
場所は商店街である。
土曜の昼下がりの雑踏の中、エプロン姿の親父が小学生のような女の子を追いかけていた。
「待て、ぼうずっ!」
親父が叫んだ。
「うぐぅっ!」
男の子に見えないこともない女の子が世にも奇妙な声を出す。
傍から見れば、ロリコン親父が小学生を追いまわしているように見えるのだが、商店街で買い物をしている世のおば様方は、特に不信感を抱くこともなく、暖かい目で二人のことを見守っていた。
この親父と女の子――たいやき屋の親父と月宮あゆの追いかけっこは、商店街にくれば毎日見ることのできる、いわゆる風物詩なのであった。
あゆは毎日たいやき屋に行き、たいやきを注文し、それを受け取ったあとで財布がないのに気付き、その場を逃げ出す。むろん、親父は毎日それを追いかける。そんなことを365日飽きもせず来る日も来る日もやっている。だから商店街の買い物客にとっては、親父とあゆの追いかけっこは、これを見ないとは一日が始まらないというような、微笑ましい日常の一コマでしかなかった。
あゆは自分の小柄な体を活かして、買い物客の間をすいすいと抜けていった。対して親父は、思うように通りを走ることができない。
二人の間はぐんぐんと離れていく。
もしあゆに路地に入って追跡者をまくという脳みそがあれば、親父は絶対にあゆを捕まえることはできないだろう。しかし、幸か不幸か、あゆはメイン通りを真っ直ぐにしか走らなかった。
一直線に商店街の出口に向かって走るあゆ。
そこまでに捕まえれば親父の勝ち。逃げ切ればあゆの勝ちだ。
親父もまた、商店街の出口までしかあゆを追わなかったのだ。
「うぐぅっ!」
あゆは後ろを振り向き親父との距離を測った。
今日は商店街が混んでいるので親父の姿はかなり後方にある。
この調子なら逃げきることができるだろう。
そう思っているあゆに、あゆにとっては思いがけない、しかし、世間の人にとってはお約束な出来事が起きた。
なおも後ろを見ながら走るあゆ。
突然、体に衝撃がはしった。
何かにぶつかったのだ。
「うぐぅ」という声をあげながら倒れるあゆ。
ぶつかった相手は、もちろん、かの相沢祐一であった。
「おい、大丈夫か?」
自分の前でひっくり返っている少女に向かって手を差し伸べる祐一。
「うぐぅ……」
あゆはその手をつかんで起きあがる。
「また、食い逃げか」
祐一が呆れたという顔をする。
それを見てあゆが「違うよ」と声をあげた。
「ボク、今日はね、ちゃんとお金を払ったんだよ」
「じゃあ、なんで逃げてるんだ?」
「それは、えっと……、お金を払ったのにおじさんが追いかけてきたから」
「は?そんなことがあるか?」
「本当だもん」
「金が足りなかったんじゃないのか?」
「うぐぅ、ちゃんと払ったもん」
「じゃあ、今まで食い逃げした分を取り立てに来たんだ」
「え、そんな……。逃げ切った分は、ボクの戦利品だから、お金は払わなくてもいいんだよ♪」
「んなことあるか!ほら、ちゃんと払えよ」
いきなり祐一があゆの肩をつかみ、あゆの体を180度回転させた。
あゆの視界がぐるんとまわる。
ぴたっと止まった視線の先には、たいやき屋の親父が肩で息をしながら立っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……、ぼっ……」
親父は息が粗くて上手くしゃべることができない。
「ぼうず……、はぁ、はぁ、お、お……、はぁ……」
「なんか、変態に見えるなぁ」
「ち、ちがっ…、わしは、変態じゃ……」
親父は苦しそうに息を吐き出したあと、すっと拳をあゆの方へと向けた。
「うぐぅ〜」
あゆがひきがえるのような声を発する。
「こ……、これを……」
親父が拳を開く。
汗ばんだ手のひらの中には、10円玉が二枚握られていた。
「た、たいやき6つで480円だから……、に、20円お釣り……」
親父が20円を差し出す。
「う、うぐぅ……」
あゆが20円を受けとる。
「ま、毎度ありがとうございました……」
呆然とつっ立っている二人を尻目に、親父はよろよろと蛇行しながら、商店街を走って帰っていった。
<終>
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