別世界の昨日
 手に入らない今日
 二度と来ない明日
 何もかもが環える
 瑠璃色の大地へと




探偵水瀬名雪
天使の歌声
sing a song
#10「終焉、そして開幕」



 「相沢はいるかっ?」
 そういいながらスウィート・シティ警察署の刑事課(別にここが刑事課だと決まってるわけじゃなくて、祐一が勝手にそう呼んでるだけなんだけど)に入ってきたのは北川君だった。
 「ん?なんだ、水瀬もいたのか」
 祐一の隣に座っていた私に北川君が気付く。手を振って挨拶してきたので、私は同じように手を振ってそれに答えた。
 北川君は空いている椅子を見つけ出し、祐一の横までひっぱってくる。
 「とりあえず、いわれたもんを持ってきたぞ」
 レコードのジャケットを祐一の机の上に放り投げながら、北川君は今持ってきた椅子にどかっと腰を下ろした。


 「あれから佐祐理さん関係のニュースはどうだ?」
 祐一が北川君に聴いた。
 「それがな、今日、ユーリ・桜が休止宣言を出したらしいんだ」
 北川君がため息をつきながら答えた。
 舞さんと佐祐理さんが私たちの目の前からいなくなったのが三日前の夜。
 その日は現場がいろいろ混乱してて、ラジオのニュースなんかも『詳しい情報が入り次第、お伝え致します』って状態だったんだけど、次の日の朝、ついに佐祐理さんがいないってことがばれちゃったんだ。
 その後が大騒ぎ。
 街には『ユーリ・桜、行方不明!?』のニュースがラジオや新聞の号外で飛び交って、それを知ったファンの人たちが、佐祐理さんを捜そうって帝都公園に押しかけて。
 ファンの人たちはしばらく公園の中やその周りをウロウロしてたんだけど、いきなり警察署に「ユーリを介抱しろ」って押し寄せてきたんだよ。
 どうやら、怪盗貴族から守るために警察がユーリさんを保護してるって話になったみたいなんだけど(その話は、途中まではあってると思う)、その後も警察がユーリさんを不当に監禁しているっていう方向に話が進んじゃったみたいで。
 私たちは、ONEの人たちにも手伝ってもらって、なんとかファンの人たちをなだめようとしたんだけど、上手くいかなくって。
 午前中ずっと、「出せっ!」「いないもんは出せないっ!」って問答してたみたいなんだけど(実はそのとき私は寝てた。ゴメン、みんなっ)、お昼ごろ、佐祐理さんから各マスコミ機関の方に手紙が届いたんだ。

 『みなさん、こんにちは。ユーリ・桜です。
  事件の最中に突然いなくなってしまって、すみません。
  別に、怪盗貴族に捕まったとか、そういうわけではないんです。
  ユーリは無事です。いたって元気です。
  ただ、少しショックを受けたので、今は自宅で休んでいます。
  ですからみなさん、そんなに心配しないでください。

  P.S.
  帝都警察のみなさま、及び、ONE綜合警備保障のみなさま。
  コンサートの警護、ありがとうございました』

 この手紙のことはすぐにラジオの緊急ニュースで流れたんだ。それで、それを聴いたファンの人たちは、みんな「良かった〜」って胸を撫で下ろしながら解散したんだ。
 そのあとは、今日の朝まではこれといったニュースはなかったんだけど……。


 「佐祐理さん、アイドルをお休みするんだ〜」
 私は舞台で歌っていた佐祐理さんのことを思い浮かべながらいった。
 あのときの佐祐理さん、天使みたいで、本当に綺麗だったな〜。
 「しばらく歌わないんだってさ〜」
 北川君が涙を流しながらいう。
 「なぁ、北川。佐祐理さんは、どういう理由で休むっていったんだ?」
 祐一が北川君に尋ねた。
 「ニュースでは、自分の歌を見つめなおすためっていってたぞ。今回の事件については特に触れてはなかったが……。世間一般じゃ、怪盗貴族のせいで、心に傷を負ったせいだってことになってる」
 「そうか。怪盗貴族か……」
 祐一が感慨深げにいった。
 怪盗貴族さん。
 今回の事件は、世間では怪盗貴族さんがユーリ・桜さんをさらおうとして失敗したと、そういうことになっている。
 けど、実はそれは、この事件のほんの一角。この事件には、他にもいろいろな側面があった。
 だいたい、怪盗貴族さんは事件の中心人物どころか、駒でしかなかったんだから。
 佐祐理さんと祐一や私を引き合わせるために、お母さんが用意したきっかけ――。
 そして、佐祐理さんと舞さんが、お母さんのことを密かに調べることに利用した隠れみの――。
 「怪盗貴族ってのは、結局どういう人間だったんだ?」
 北川君が祐一に訊いた。
 「奴か?奴はな、久瀬重工のおぼっちゃんだ」
 祐一の返答を聞いて、北川君がぽかんと口をあける。
 「久瀬重工!?Sマシーン・メーカーの大手じゃないか!」
 「そうだ。だからいろいろなSマシーンを用意できたんだ。各種メーカーともつながりがあったからな、いろんなジャンクを集めることもできたみたいだぞ。ただ、ライバル社の倉田の製品だけは手に入らなかったみたいだが……」
 「久瀬の息子っていったら、あれだろ?親の七光りではなく、実力で重工全体の運営を任されてたっていう。しかも、経営能力に優れてるだけではなく、新しいSマシーンの企画を出したり、ときには現場で設計組立までやってしまうという、大秀才じゃないか」
 「そうだ」
 「そんな人物がどうして怪盗貴族なんかに……」
 「それがなぁ、妙なことをいってるんだ」
 「電波でも受信したってか?」
 「それに近いもんがある。久瀬はな、『神』の声を聴いたっていうんだ」
 「神!?」
 「そうだ、神だ。神が自分のところにやってきて、本能のままに行動しろといったらしいんだ。奴はそれでプッツンしちゃったみたいでなぁ……。どうも、もともとお姉ちゃんが好きな人間だったらしく、その神の一言で欲求の箍が外れたらしい。動機を訊いたら、個人的趣味だとかぬかしやがった、ふざけやがって……」
 「神……」
 「そう、神だぜ、神。が、俺は神なんて信じていない。たぶん、その神って奴はお母さんなんだと思う。お母さんが、例の俺と名雪を舞と佐祐理さんに会わせるために、自ら神を語ったんだと思う。まぁ、これは舞と佐祐理さんの言葉を信じればなんだが――。ん?どうした?北川?」
 「ちょっと気になることがあってな……」
 「なんだ?」
 「その『神』に少し心当たりがあるんだ」
 「なんだって!?」
 「これはあくまで噂なんだが……。この街の財界、政界を影で操っている人間がいるという話を聞いたことがある。何でもそいつは、あらゆることに通じていて、どんなことでも教えてくれるらしい。経済の動きや政治の動向、砂糖科学技術や電子科学。そして、未来……。帝都の政治家や財界人は、そいつの予言を聞いて自分たちの指針を決めているらしい。つまり、その予言者の言動によって、この帝都は動いているということになる。その予言者の呼び名が、『神』――」
 「あらゆることに通じていて、どんなことでも教えてくれるだって?」
 「そうだ。知りたいことを教えてくれるんだ」
 北川君の言葉を聞いた祐一が何かを考える。
 私も、二人の会話をもう一度かみしめてみた。
 う〜にゅ。
 今の会話に似たセリフ、どこかで聞いたことがあるような……。

 ――あの人は私を知っていた。あの人は私の過去を知っていたわ。あの人は私の全てを知っていたのよ。

 ――私はまだ、直接お母さんに会ったことはないわ。お母さんは手紙でしか私に話しかけてくれないの。その手紙も、どこからどのようにして来るのかはわからない。だけどいつも手紙には、私の知りたいことが書かれていたわ。

 そうだ。
 あれは、香里がいった言葉。
 あのとき、香里はいっていた。
 お母さんはすべてを知っていたと。
 お母さんがすべてを教えてくれたと。
 ということは、やっぱり――

 「やっぱり、『神』は、お母さん――」
 私のつぶやきに、祐一と北川君ごくりと息を呑んだ。
 「どうやら、お母さんが見えてきたな」
 祐一が宙をにらみながらいった。
 「相沢、『神』について調べるなら俺も手伝うぞ。噂とはいえ、いけ好かない奴だと思ってたんだ。そんな奴が実際にいるとなっちゃぁ、黙っちゃいられねえよ」
 「頼む、北川」
 祐一が差し出した拳に、北川君が「任せろ」といいながら拳を合わせた。
 「それにしても〜」
 私は机の上に置かれたユーリ・桜さんのレコードのジャケットに目を落した。
 「どうして、お母さんと祐一を会わせちゃいけないんだろうね?」
 「水瀬、なんだそれ?」
 「あのね、舞さんがいってたの。お母さんは祐一に何かをさせようとしてるから、なるべく二人を会わせたくないって?」
 「何だ、そりゃ?お母さんが相沢に何かをさせようとする?本当なのか?」
 北川君が首をひねる。
 「それを確かめるために、お前にこのレコードを持ってきてもらったんだ」
 祐一がレコードを手にした。
 「舞は、こいつの歌詞を見れば、少しはわかるっていってたんだが……」
 祐一がジャケットから歌詞カードを取り出す。私は横から覗きこんで、その歌詞に目を通した。



 あなたを思う
 祈りは空へ
 ざわめく星空
 沸き立つ大地

 夢を紡いで
 歌をさえずる
 命の光は
 地上に輝く永遠の星

 あなたを思い
 流るる星空
 高まる心
 硝子のきらめき

 素敵な夢を見た
 別世界への旅立ち
 天使のように空に遊ぶ
 Wow Wow Wow

 大空から見下ろせば
 私も小さな一つの星
 螺旋模様の大地に瞬く
 世界を彩る小さな欠片

 流浪――混沌――無常

 空に揺られて
 静まる星々
 手を伸ばせば
 私がつかまる

 旅の終着駅は
 静かなる終わり
 はるかなる宇宙で
 全てを見守る

 別世界の昨日
 手に入らない今日
 二度と来ない明日
 何もかもが環える
 瑠璃色の大地へと



 「これがどうかしたのか?」
 北川君が祐一に訊く。けどその言葉は祐一には届いていなかった。
 「なんだこれは?俺が終わらせるだと?」
 祐一が歌詞カードを凝視する。
 「なぁ、水瀬。どういうことだ?相沢は何をいってるんだ?」
 問いかけてくる北川君に私は答えた。
 「北川君。これはね、頭を読むんだよ」
 「頭?」
 「そう。一番始めの字だけ……」
 「あ、祈、ざ、沸、夢、歌、命、地……」
 「違うよ。これは歌だから、一番始めの一音だけを拾うんだよ」
 「ん?『祈る』だったら、『い』か?」
 「うん……」
 「えっと、あ、い、ざ、わ、ゆ、う、い、ち……。相沢祐一っ!」
 北川君が祐一の顔を見る。
 その視線を感じたのか、祐一は北側君の方へと顔を向けた。
 「見ての通りだ、北川」
 「あ、な、た、が……」
 北川君が続きを読む。
 「相沢祐一、あなたがすべてを終わらせる。そして私はすべてになる――か」
 北川君が歌詞カードから祐一へと視線を移した。
 「確かに、お母さんは相沢に何かをさせようとしているみたいだな。けどこれ、どういう意味だ?だいたい、終わらせるって何を終わらせるんだ?」
 「わからない」
 祐一が首を振る。
 「わからないから、これを調べるために、舞と佐祐理さんは俺たちの前から姿を消したんだ……」
 そういって祐一が窓際の席に目をやった。
 そこは3日前まで舞さんが使っていた場所。
 そこにはまだ舞さんの荷物がそのままに置いてあった。
 ――お母さんとの決着がついたら、きっと帰って来るから……。
 別れ際、舞さんはそういった。
 私と祐一はその舞さんの言葉を信じている。
 だから机は、あの日のままにしてあった。
 いつか、また、舞さんが帰ってくるその日まで。

 「舞や佐祐理さんがお母さんと戦うように、俺もお母さんと戦う。そうしないと、なんつーか、気持ちが悪いからな」
 祐一が舞さんの席を見つめながらいった。
 「いつもどおり、俺も手伝うぜ」
 北川君がそういって笑った。
 「私も、祐一と一緒だよ。ファイト、だよ」
 私も二人に微笑みかけた。
 「そうだな」
 祐一は立ちあがり舞さんの席まで歩く。そして、机の横の窓から外を見つめた。
 「俺たちも俺たちでお母さんと決着をつけよう。そして、舞が警察に帰ってくるのを待とう。それで、舞が帰ってきたそのときは――」
 「そのときは?」
 「笑顔でお帰りっていってやるんだ」
 そういって振りかえった祐一の瞳には、優しさと決意とが秘められていた。


   *   *   *

 この街は、常に甘い薫りで覆われている。
 至る所から甘い蒸気を噴き出し、
 街の全貌を、深い薫りの中に隠している。
 その甘い薫りに紛れて、数多くの怪人、怪盗が現れ、人々の平和を脅かしている。
 だが、
 その薫りに覆われた街を愛する者達もここにいる。
 正義に燃える警察と真実を求める探偵は、人々の心の煙を取り払おうと戦う。
 祐一と名雪は、今日も闇と戦う。
 このスウィート・シティを守る為に。
 このスウィート・シティに住む人々に笑顔をもたらす為に。



 天使の歌声(完)


 矢蘇部「『天使の歌声』完結ぅ〜。
      読んでくれた皆様。誠にありがとうございました」
 あかり「これで、Kanonヒロインが全員出てきたのね」
 矢蘇部「そう。お母さんに関わる9人が出揃ったんだ」
 あかり「ということは、次は?」
 矢蘇部「お母さんが登場する……、はず?」
 あかり「はず?なにそれ」
 矢蘇部「それがさぁ、ネタができてなくて」
 あかり「ああ。いつもと同じね」
 矢蘇部「ぐへっ!そういわれると、身も蓋も……」
 あかり「ほらほら。ぶつくさいってないで、さっさと話を考えなさい」
 矢蘇部「う……。け、けど、題名だけは考えてあるんだ」
 あかり「題名ねぇ」
 矢蘇部「題名は、『すべてが――』」
 あかり「ちょい待ち」
 矢蘇部「ふへっ?」
 あかり「それは次回までとっておきなよ」
 矢蘇部「む……。そだな」

戻る