かえる
超前編 「蛙」



 『コギト・エルゴ・スム』

 「ん?」

 声が―――聴こえたような気がしたが。

 誰か何かいったのか?

 俺は、正面で寝ぼけながらトーストにイチゴジャムを塗っている名雪を見る。

 「なぁ、名雪。今なにかいったか?」

 「い〜ち〜ご〜じゃ〜む〜?」

 線目で問い返す名雪。

 うーん、名雪ではなさそうだ。

 次に、名雪の隣を見る。

 真琴が目玉焼きを乗っけたトーストにかぶりついている。

 「真琴、なにかいったか?」

 「あふ?」

 真琴が口をもぐもぐとさせる。

 どうやら真琴でもなさそうだ。

 「じゃぁ、誰だ?」

 俺は首をひねりながらコーヒーを口に運ぶ。

 そのとき、また声がした。

 『我思う、故に我有り』

 思わずコーヒーを噴き出しそうになる。

 今度ははっきりと聴こえた。

 誰かが今「我思う、故に我有り」といった。

 誰だ?名雪か真琴がいったのか?

 だが、そこでオレは考えた。

 はたして名雪や真琴の脳みそから、「我思う、故に我有り」などという言葉が出てくるだろうか?

 いや、出ないだろう。

 そんなことは、奇跡とまぐれと偶然が重なってもありえない。

 じゃあ、誰だ?

 俺は食卓を見渡す。

 ん?真琴が何かを見ているぞ。

 俺は真琴の視線の先を追う。

 そこには、寝ぼけた名雪が部屋から連れてきたけろぴーが鎮座していた。

 真琴はけろぴーをじっと見ている。

 「なぁ、真琴。けろぴーがどうかしたのか?」

 「しゃべった・・・・・・」

 「は?」

 「あうー、今けろぴーが何かしゃべった」

 真琴がけろぴーから視線を外さずにいう。

 「そんな馬鹿なことがあるか」

 そういいながら俺も、けろぴーから目が離せなくなった。

 俺と真琴でじっとけろぴーを見つめる。

 まさか、人形がしゃべるなんて・・・・・・

 『そんなに見つめないでくれ。恥ずかしいじゃないか』

 「うおぉ!!」

 「あうーっ!!」

 いきなりけろぴーから低い声が聴こえた。

 驚きの声をあげる俺と真琴。

 『どうした。そんなに驚いて』

 「しゃべった!しゃべった!しゃべった!!けろぴーがしゃべった!!」

 「あうー、けろぴーってしゃべれるんだ」

 俺と真琴はけろぴーをまじまじと見つめる。

 『む・・・・・・うーん、流石に体は動かせんか』

 「何だ?どうした?何が起きた?どうやって声を出しているんだ?」

 俺は思わず椅子を蹴って立ちあがる。

 「あら、どうしたんですか?祐一さん」

 そこへ秋子さんが、お盆にコーヒーを乗せてやってきた。

 「秋子さん、大変です。けろぴーが、けろぴーが、けろぴーがぁぁぁぁ!」

 慌てて言葉にならない。

 「けろぴーがどうかしたのですか?」

 秋子さんがコーヒーをテーブルに置きながらけろぴーを覗き込む。

 そのとき、

 『おお、秋子。おはよう』

 けろぴーが秋子さんに挨拶をした。

 「あら?」

 秋子さんがそれに気付く。

 「秋子さん!けろぴーがしゃべってますぅぅぅ!」

 俺はけろぴーを指差して叫ぶ。

 「ホントですね」

 秋子さんはさしたる動揺もなく、それを受け入れた。

 「おはようございます」

 『秋子、久しぶりだな』

 「そうですね」

 そしてごく自然に会話を始める。

 さすがは秋子さんというところか・・・・・・

 「久しぶりって、秋子さん。前にもけろぴーがしゃべったことがあるんですか?」

 「いいえ、けろぴーがしゃべったのは今日が始めてですよ」

 「え、だって今久しぶりって・・・・・・」

 『祐一君。男ならあまり細かいことは気にしない方が良いぞ』

 そういって、『はっはっはっ』とけろぴーが笑う。

 「どこかにスピーカーでも付いているのか?」

 俺はけろぴーの背中を調べる。

 『はははははっ。くすぐったいよ、祐一君』

 どこにも不信な点はない。ごく普通の人形だ。

 「どうやってしゃべってるんだ?」

 俺はけろぴーの顔を引っ張ってみる。

 『痛い!痛い!祐一君、やめてくれ』

 けろぴーが悲鳴をあげる。

 「ゆ〜いち〜、けろぴーをいじめちゃイチゴジャム〜」

 名雪が俺に向かって寝ぼけた声をあげた。

 「何だ?名雪。特にその最後の『イチゴジャム〜』ってのは・・・・・・」

 「おいしくって、甘くって、ジャムバラヤ〜ン」

 「・・・・・・寝てるだろ、お前」

 「ん〜、起きてる〜?起きてるよ〜」

 意味不明な受け答え。

 間違いない。名雪は半分寝ている。

 『相変わらず、名雪は朝が弱いな』

 そんな名雪にけろぴーが話しかける。

 「そうだよ、けろぴー。私、ブロッコリーも食べれるよ〜」

 線目な名雪が答える。

 『おお、ブロッコリーが食べれるようになったのか』

 「色が白いとカリフラワーだよ〜」

 『カリフラワーにはやはり、マヨネーズだな』

 「マヨネーズを酢酸カーミンで染色するとケチャップになるんだよ〜」

 眠る名雪としゃべるけろぴー。

 さすがにお互い人外魔境の妖怪生物。

 会話になってねぇ。

 『名雪、ジャムは好きか?』

 「イチゴジャムは好きだお〜」

 『じゃあ、オレンジのは?』

 「オレンジッ!!」

 いきなり名雪のからだが震えた。

 そして、カッと目を見開く。

 隣で座って名雪とけろぴーの会話を聞いていた真琴も、ビクッと体を震わせた。

 俺の皮膚にも鳥肌がはしる。

 『なんだ。まだアレを食べれないのか。お子様だなぁ』

 そういって、けろぴーがクククッと笑う。

 「だってあのジャムは、お空がぐるぐる回って土天冥海、ギャラクシアン・エクスプロージョン――――――って、けろぴーがしゃべってるお」

 今さらながらに驚く名雪。

 「名雪はさっきからずっと会話しているじゃないか」

 「え〜、私知らないよ〜」

 「今だって、ジャムって―――」

 俺はそこで、言葉を止める。

 名雪も何かに気付き、不安な目でオレを見つめた。

 真琴もピクリとも動かない。

 「食べます?」

 そう。そこにはいつのまにか、オレンジ色のジャムの詰まった瓶を手にした秋子さんが―――。

 「おいしいですよ」

 秋子さんがニッコリと微笑む。

 俺と名雪と真琴がブンブンと首を横に振る。

 『うーん、食べたいのはやまやまなんだが、人形だから口がない』

 けろぴーがさも残念そうにいう。

 「そうですね。さすがに無理ですね」

 秋子さんはがっかりしながら、ジャムの瓶を再び台所へと持ち帰った。

 「ふ〜」

 その様子を見て、俺達三人はため息をつく。

 『なんだ、祐一君。君もあのジャムを食べれないのか』

 「アレは人間の摂取すべきものではない」

 『アレの味がわからんとは――――――ふっ、若いな』

 「けろぴーのくせに生意気な奴だな」

 俺はけろぴーの頬を引っ張る。

 『あいだだだだ!痛い!痛い!』

 どうやらけろぴーは動けないらしいので、俺にされたい放題である。

 「祐一、けろぴーをいじめちゃダメだよ〜」

 「いいんだ、名雪。こういう生意気な蛙にはお仕置きが必要だ」

 「だめ〜」

 名雪がオレの手を、名雪にしては強引に止めた。

 「ダメなんだよ〜」

 名雪がオレを睨む。

 その仕草がいつもの名雪よりずっと強いものであったので、俺は思わずはっとしてけろぴーから手を離した。

 「すまん、名雪。調子に乗りすぎた」

 「そうだよ、祐一。あんまり酷いことしちゃダメなんだよ〜」

 名雪が俺を軽く諌めた。



 『なぁ、真琴君』

 「あう?なぁに、けろぴー?」

 『あの二人は、家の外でもあんな感じなのか?』

 「あうー、あんな感じって?」

 『いやぁ、要するに、祐一君は名雪の尻に敷かれてるのかってことだよ』

 「ああ、そういうこと。そうね。だいたいいつでもどこでもあーよ。あんな風に祐一はなゆ姉ちゃんにペコペコしてるわ」

 『ほほぅ、やはりそうなのか』

 「そうなのよ」

 真琴がウンウンと頷く。

 「こら、そこっ!なんちゅー会話をしている!!」

 『い、いや、ちょっとな。真琴君と最近の刑事事件と構成要件の該当性についてな』

 「そ、そうよ。祐一となゆ姉ちゃんの話しなんかしてないわよ」

 慌てふためく一人と一匹。

 「ったくけろぴーめ。名雪がいなければ丸焼きにして食っちまうところだぞ」

 「祐一、けろぴー食べちゃダメだよ〜」

 「・・・・・・はぁ、食べないよ」

 「だって今、食べるって・・・・・・」

 「言葉のあやだ」

 「けどね、もし食べたいっていうのなら―――」

 「食べない」

 「―――丸焼きにするよりトマト煮の方がいいと思うよ」

 「だから食べないっていってるだろ!」

 「うにゅ〜」

 俺の剣幕に情けない声をあげる名雪。

 まだ完全に起きてないのだろうか。

 『うん、それがいいな』

 いきなりけろぴーが呟いた。

 「それがいいって、何がいいんだ?」

 『私もトマト煮の方が好きだ』

 「・・・・・・なぁ、けろぴー。今何の話をしてるのかわかってるのか?」

 『祐一君はトマト煮は嫌いか?』

 「嫌いじゃないが――――――食われるのはけろぴー、お前だぞ」

 『何?君は人形を食べるのか?』

 「俺が食べるんじゃなくて、けろぴーがけろぴーをトマト煮にして――――――ああ、わけわからん」

 俺は頭を掻きむしる。

 「あらあら、祐一さん。どうしたんですか?」

 「あ、秋子さん。その、けろぴーと会話してるとこっちの調子が狂ってしまって。なにか、名雪が二人に増えたような・・・・・・」

 「それより祐一さん、学校に行かなくて良いのですか?」

 「はっ!」

 いわれて俺は時計に目をやる。

 「うぉっ!ヤバイッ!!遅刻だ!!」

 「大変だお〜」

 「間延びした声をあげている場合か!行くぞ!名雪!」

 「うん――――――あ、真琴ちゃんは行かなくていいの?」

 「土曜日は保育園はお休みだから、今日はお手伝いに行かなくていいの」

 『真琴君は今日はお休みなのか』

 「そうよ」

 『じゃあ今日は、私と話をしないか?』

 「けろぴーと?いいわよ」

 「あ〜、真琴ちゃんいいな〜」

 「名雪は今から学校だ」

 俺はけろぴーの方に行きかけた名雪の腕を引っ張る。

 「うにゅ〜、私もお話ししたい」

 「ほら、いい加減にしないと遅刻するぞ。けろぴーとは帰ってきてから話せばいいだろ」

 「うん。そうするよ〜」

 名雪が仕方ないという顔をする。そして名残惜しそうに玄関に向かってトボトボと歩いていった。

 俺も名雪の後を付いて玄関に向かう。

 『うーん。にぎやかでいいなあ』

 「そうですね」

 「なゆ姉ちゃん、祐一、いってらっしゃい」

 二人と一匹が、学校に行く俺と名雪を見送ってくれた。





 (続く)




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