かえる
超中編 「帰る」



 「ふひ〜、ま、間に合った」

 遅刻ギリギリで教室に飛び込んだ俺は、まだ担任が来ていないことを神に感謝した。

 そのまま自分の机にバッタリと倒れこむ。

 隣で名雪が同じように机に倒れこんだ。

 「今日は本当にギリギリだったわね。また名雪が起きなかったの?」

 さっそく香里が、あきれ顔で俺達に訊いてくる。

 「いや、名雪は比較的早く起きた」

 「そうだよ、香里。私この頃早起きさんだよ〜」

 名雪が半分ねぼけた声で主張する。

 「水瀬が早く起きたのに、何で遅刻寸前なんだ?」

 今度は北川が訊いてくる。

 朝の恒例、「何故、今日も遅刻ギリギリなのかを報告する会」が始まった。

 ちなみに会長は香里。副会長北川。報告員俺である。

 「朝、いろいろあったんだ」

 俺はため息と共に言葉をはき出す。

 「いろいろ?何があったんだ?気になるな〜」

 北川が楽しそうな顔で訊いてくる。といっても、北川はいつも楽しそうな顔をしているので、普段と何ら変らなかったりする。

 とりあえず興味津々の香里と北川に、俺は朝の最も印象の強かったことを報告することにした。

 「けろぴーがしゃべった」

 「は?今何てった?」

 すぐさま訊き返してくる北川。

 「けろぴーがしゃべった」

 北川が沈黙する。

 「そう、今日は相沢君が寝ぼけてたのね」

 北川の代わりに香里が尋ねてきた。

 「違うぞ、香里。本当にけろぴーがしゃべったんだ」

 「相沢君。まだ寝てるの?」

 「香里〜、私けろぴーとお話したよ〜」

 横から抗議の声をあげる名雪。

 「・・・・・・二人で寝ぼけていたのね」

 「私、寝ぼけてなかったもん」

 「相沢、二人して寝ぼけててどうする」

 「だから、北川君。私寝ぼけてない・・・・・・」

 「寝ぼけてたのは名雪だけだ。俺はちゃんと起きてたぞ」

 「寝ぼけて・・・・・・う〜、みんな酷いよ〜」

 名雪が膨れて机に突っ伏す。

 「あ〜あ、水瀬がいじけてしまったぞ。相沢のせいだな」

 「そうね。これはきっとイチゴサンデーね」

 二人が俺を責めるような目で見る。

 「ちょっと待て。俺か?俺が悪いのか?お前らだって」

 「ほら、相沢君。先生が来たわよ」

 香里と北川が席に戻る。

 「うにゅ〜、イチゴサンデ〜」

 隣の席では名雪がうなり続けていた。







 キーンコーンカーンコーン

 チャイムが今日の授業の終わりを告げる。

 「終わった・・・・・・何もかも」

 「相沢君、何ほうけた顔をしてるの」

 「ほうけているのとは違うぞ香里。今日半日を振り返り、感慨に耽っていたんだ」

 「半分以上寝ていたくせに良くいうよな」

 「そういう北川だって寝てたんだろ」

 「寝る?ちっちっちっ、睡眠学習といってくれよ」

 「そんなことできるのは名雪ぐらいだ。なぁ、名雪」

 俺は隣の席を見る。

 名雪はどこか遠くを見るような目をしながら席に座っていた。

 そして何か呟く。

 「・・・・・・けろぴー」

 「は?何いってんだ?」

 「・・・・・・蛙さん?」

 「お〜い、名雪」

 「・・・・・・ジャム」

 「・・・・・・」

 名雪は何か考えこんでいるらしく、俺の声に全く反応しない。

 「相沢君」

 「何だ?香里」

 「授業中うしろの席から名雪を見てたけど、ずっとこの調子だったわよ」

 「おかしいなぁ。何か変なもんでも拾い食いしたかなぁ?」

 「そんな、ネコじゃないんだし」

 香里が苦笑する。

 「おい、相沢。アレじゃないか?朝のことをまだ根に持ってるんじゃないのか?」

 「朝のこと?ああ、そういえば・・・・・・」

 俺は記憶を反芻する。そういえば朝、機嫌を損ねた気がするぞ。

 「だったら解決法は簡単だな。良かったな、相沢」

 北川が気軽にいう。

 「良かぁないわ!ああ、また財布が軽くなる・・・・・・」

 「それもお前の運命だ」

 「仕方がないか・・・・・・」

 俺は名雪の前に回り込んだ。

 「名雪〜、放課後だよ〜」

 途端、香里と北川が渋い顔をする。

 「相沢君、何?今の」

 「不気味だ。夢に見そうだ」

 二人して宇宙人を見るような目で俺を見つめる。

 くそ〜。けっこう名雪に似てたと思ったんだがな。

 それにしても肝心の名雪が無反応なのが腹が立つ。

 どうしてくれよう・・・・・・

 名雪を前にして俺はいろいろ考える。

 「普通に声をかければいいのよ」

 「いや、香里。それじゃぁ俺のプライドが許さない。ここは何か、あっと驚くナイスな方法で―――って、香里!何で俺の考えていることがわかった?」

 「何ヶ月あなたのクラスメートをやってると思うの?」

 「えっと―――半年ぐらい」

 「そう。半年よ。これだけ一緒に居るのよ、相沢君の考えてることなんて一目瞭然よ」

 「たった半年でか!さすが香里。優れた観察眼だな」

 「どちらかというと、相沢君の人間としての底が浅い―――というか、ワンパターン」

 「ぐはぁっ!」

 ひ、人が気にしていることを・・・・・・

 「ぐはぁ〜?わんわん、ぱた〜ごるふ〜?」

 ん?名雪が俺に気付いた?

 まぁ、あれだけ目の前で騒げばいくら名雪でも気付くか。

 「けろぴ〜?」

 「けろぴーじゃないっ!」

 とりあえず名雪の頭頂部に軽くチョップを入れる。

 「ふにゃ?」

 「ほら、名雪。放課後だぞ」

 「え?放課後?」

 いわれて辺りをキョロキョロと見渡す名雪。

 気付いてなかったんかい・・・・・・

 「わ!朝のHRが終わってるよ!」

 思わずずっこける俺香北。

 「朝のHRどころか、今日1日の授業と終学活も終わっとるわぁ!」

 「え、じゃあもう放課後!?」

 「そうだ。さっきからいってるだろう。ほら、商店街にイチゴサンデーを食べに行くぞ」

 俺のセリフを聞いて、北川と香里がククッと笑う。

 「あ、けど今日は土曜日だから家で秋子さんが昼食を用意しているな。これじゃあイチゴサンデーを食べて帰るにはいかないか。いやぁ、まいったまいった」

 「相沢君。なに棒読みで説明的なセリフを口走ってるのよ」

 「全然棒読みなセリフじゃないぞ。本心がこもってる。ああ、百花屋に行けなくて残念だ」

 「相沢。百花屋にはお持帰り用のイチゴのムースがあるじゃないか。だから大丈夫だろ」

 「わっ!バカ、北川!余計なことをいうんじゃない!名雪がそれに気付いたらどうするんだよ!」

 「今さら何いってるんだよ。おまえらいつも土曜日はそれ買って帰ってるじゃん」

 「何?どうしてそれを知っている!?」

 「それは秘密よ」

 「ぐはぁっ!香里まで知っているのか!」

 いつもの放課後のいつもの光景。

 だが、名雪から出てきたセリフは俺の予想外のものであった。

 「帰る」

 へ?今、「帰る」って聴こえたような。

 ああ、蛙か、蛙。けろぴーのことか。

 「けろぴーがどうかしたのか?」

 「私、家に帰る」

 「何?」

 俺と北川と香里の視線が一気に名雪に集まる。

 「もう一度いってみろ、名雪」

 北川と香里が固唾を飲み込んで名雪の返答を待つ。

 「私、真っ直ぐ家に帰るんだよ」

 一瞬、3人の思考が止まった。

 「名雪がイチゴサンデーにつられなかった!」

 「名雪!どうしたの!熱でもあるの!」

 「大変だ!明日は雪だ!雪が降るぞ!!」

 パニックになる美坂チーム。

 しかしそんな中で、名雪は一人冷静だった。

 「私、帰ってけろぴーとお話しするの」

 訂正。あまり冷静じゃなかった。

 「名雪、まだ寝ぼけてるの?」

 香里が心底呆れた顔で名雪を見る。

 「香里〜、朝もいったけど、私は寝ぼけてないよ」

 「だってあなた、けろぴーがどうのこうのって・・・・・・」

 「そうだよ。けろぴーとお話しするんだよ」

 よくわからない迫力を醸し出す名雪。

 俺達はそのオーラに圧倒される。

 「それじゃあ私帰るね。香里、北川君、祐一。また来週だお〜」

 名雪はいきなり立ち上がると、荷物を持って教室を飛び出していった。

 あとには呆然とした俺と香里と北川が残されていた。





 「いったいどうしたんだ?名雪のやつ」

 名雪が一人で帰ってしまったあと、これといってやることのなかった俺は、同じく特にやることのなかった香里と北川と家に帰ることにした。

 ってーか、本来、名雪と一緒に帰ろうと思っていたのだが・・・・・・

 帰り道、香里と北川と別れたあと一人であれこれ考えて見たのだが、今日の名雪の行動は、いまいち良く把握できなかった。

 けろぴーがしゃべったというのも良くわからないことではある。だが、名雪が百花屋よりもけろぴーとのお喋りを選択したことは、もっと不可解なことであろう。

 名雪にとってしゃべる蛙の人形というのは、そんなにも魅力的なものなのであろうか?

 まぁ、珍しいものであるのは確かだ。

 だが、百花屋を蹴る程のモノであろうか?

 普通の人間だったら蛙の方が気になると思う。だが、あの名雪だ。

 三度の飯よりイチゴサンデーが好きで、イチゴサンデーのためならば世界征服もできそうな名雪だ。

 その名雪がイチゴサンデーを無視するなんて普通じゃない。

 いや、もしかするとこれは名雪の作戦か?

 普通じゃないと見せかけて普通という、いつもと違うパターンで意外性を醸し出し、いつもの普通じゃない名雪とは違うんだよーってことをアピールする高度に政治的な作戦かもしれない。それにしても普通の方が普通じゃない名雪って、もう何をしても普通じゃない普遍性が――――――ああ、知恵熱がっ!

 そんなことを考えているうちに家に着いた。

 まぁ、帰り道の暇つぶしに考えていたのではあるが・・・・・・。

 「だたいま」

 挨拶をしながら玄関にあがりこむ。

 すると、台所の戸口から秋子さんが顔を出した。

 「お帰りなさい祐一さん。お昼ができてますよ」

 「助かりました。もう、お腹が空いて空いて―――」

 「死にそうでしたか?」

 「―――そう、死にそう―――って何でわかったんです?」

 「祐一さん。土曜日は帰ってくるなり、いつも同じことをいってますよ」

 クスリと笑って秋子さんがダイニングへ消える。

 「やっぱ俺、ワンパターンなのかなぁ?」

 俺は香里に指摘された点を真剣に考えつつ二階にのぼり、自分の部屋へ荷物を放り投げたのち、ダイニングへと向かった。





 「♪イチゴ〜ジャムジャム、イチゴジャム〜」

 今日のお昼ご飯は、秋子さん特性焼きそば。

 にもかかわらずコイツは・・・・・・

 「♪十個で〜も、イチゴッ!」

 もう何もいえん。

 『焼きそばにイチゴジャム―――』

 そうそう。食卓にはしっかりとけろぴーがいる。

 『―――通だな』

 通なのか?

 食卓に秋子さんが着いた所で昼食が始まる。

 『いっただきまーす!』

 いただきますの掛け声と共に焼きそばにイチゴジャムをぶっかける名雪。

 止める気力もない。

 「あうー、ソースと間違えて醤油をかけちゃったー」

 こっちはこっちでお約束なことをしでかす真琴。

 「なーにやってんだ、真琴。マヌケ過ぎるぞ!」

 「祐一、取り替えて」

 「やなこった」

 「取り替えてよー」

 「い・や・だ」

 「取り替えて、取り替えて、取り替えて、取り替えて、取り替えてー」

 駄々をこねる真琴。うるさいことこの上ない。

 「あー、うるさい。嫌なもんは嫌だ。自分で責任持って食え!」

 『祐一君。取り替えてあげなさい』

 「なんで俺がっ――――――てーか、けろぴーのクセに俺に指図するのか?」

 「祐一、取り替えてあげなよ〜」

 「な、名雪まで・・・・・・っち、しょうがねーなー、ほれ」

 仕方なく、俺の皿と真琴の皿を入れ替える。

 『うむ。それでこそお兄さんだ』

 うんうんと頷くけろぴー。

 「お、お兄さん?俺はこんな馬鹿な妹を持った覚えはない!!」

 「真琴の方が祐一よりもお姉さんだもんっ!祐一の方が弟よ」

 お互いで睨み合い、プイッと顔を反らす。

 「あらあら、喧嘩しちゃダメですよ」

 『秋子、喧嘩する程仲が良いともいうぞ』

 「そうですね」

 秋子さんとけろぴーが微笑む。

 「う〜、祐一と真琴ちゃんだけ仲が良いなんてずるいんだよ。私も喧嘩する〜」

 「何を寝ぼけたことをぬかしているんだ名雪。舌だけでなく脳までボケたか?」

 「私の舌はボケてないよ〜」

 「珍味ジャムそばを食ってる奴が何をいう」

 「珍味じゃないよ〜。とってもおいしいんだよ〜。祐一もかけてみれば〜」

 「甘い!甘いぜ名雪!そのイチゴジャムぐらい甘いぜ!」

 「祐一さん。甘くないジャムがありますが?」

 「あ、秋子さん、そういう話じゃなくってですねぇ・・・・・・」

 「わ〜、祐一。勇気ある〜」

 「違う!名雪!これを見ろっ!」

 俺は自分の皿を名雪に見せる。

 「うにゅ?」

 「俺はもう食べ終わってしまったから、かけたくてもかけれないんだ」

 そういって皿をひっくり返してみせる。

 「祐一さん、おかわりありますよ。いかがですか?」

 空の皿を見た秋子さんが俺に問いかけてきた。

 「大盛りで頼みますっ!」

 さっと皿を差し出す俺。

 「あうー、真琴もー」

 負けじと皿を差し出す真琴。

 「ジャムかけるの〜?」

 「かけないっ!!」

 『祐一君。そろそろ甘くないのに挑戦したまえ』

 「だから、かけないっていってるだろ!」

 『そいつは残念だなぁ。はっはっはっー』

 蛙が一匹多かったからであろうか。

 今日の昼食は、いつもにも増して賑やかなものであった。



 (続く)






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