Beyond the Time
track 4 「Rhythm Red Beat Black」
   
   
 「待てっ!親父ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
 祐一は、そう男に向かって叫んだ。
 「親父って、お父さんのこと?」
 香里が当たり前のことを訊く。
 「それ以外に何がある。今名雪と一緒に走って行った脳みそバラ色中年髭野郎は―――」
 そこまでいったとき、祐一の前に例の青い髪の女性が立ちはだかった。
 「あ〜ら、祐一、久しぶり。相変わらず楽しそうね〜」
 そういってケラケラと笑う。
 「か、かあさん……」
 女を見上げながら、祐一ががっくりとうな垂れた。
 「かあさんっ!?」
 祐一の言葉を聴いた香里たちは、一斉に驚きの声をあげた。
 「うぐぅ。みんなどうしたの?」
 あゆが校門までやってきた。
 そして、さっきまで自分が追いかけていた人物と、その前でみんなに押さえつけられている祐一とを交互に見た。
 「みんなどうしたの?」
 あゆがもう一度同じ事を訊く。
 その質問に、香里がみなを代表して答えた。
 「あゆちゃん。どうやらこの人が相沢君のお母さんみたいなの」
 「母さんって、祐一君のお母さん?」
 あゆが目の前の秋子さんによく似た女性を見つめた。
 「そうよ。私はそこで押し潰されてるドラ息子の母親よ」
 祐一の母にいわれ、香里たちが慌てて祐一を押さえつけていた手を離す。
 祐一は土埃を払いながら立ち上がり、自分の母親に向かって言葉を発した。
 「何しに来たんだ?ってゆーか、いつ来た?」
 「何しに来たですって……」
 そこで祐一の母がふっと表情を暗くする。
 「実は、お父さんの病気がよくなくって、それで最期に一目祐一に会いたいと―――」
 そういってどこからかハンカチを取り出し、それを瞳に当てた。
 「え、祐一さんのお父さん、病気なんですか?」
 栞が心配そうに訊く。
 「ええ。ルベシャニキシイム病といって、ある日なんの前触れもなく、いきなりいってしまう……」
 「そんな……」
 栞が青い顔をして祐一の方を振り返る。祐一はいぶかしげな表情で母親を見つめていた。
 「母さん、嘘だろ」
 「嘘よ」
 祐一の母がケロッといったのを訊いて、思わず栞がずっこけた。
 「けど、全部嘘じゃないわ。あの人がなんの前触れもなくいきなりいっちゃうのは本当よ」
 「えっ……」
 栞が再び相沢母子を見る。
 「栞……。あの世に逝くじゃないぞ。心で思ってることを口に出して言うだ」
 それを訊いて、またまた栞がずっこけた。
 「栞。この生物とまともにコンタクトを取ろうと思うな。疲れるだけだ」
 「誰が生物ですって」
 祐一の母が、祐一のホッペタを左右に引っ張る。
 「いでででででっ!」
 「青二才のくせに、生意気いってんじゃないよ。ほらほらっ!学級文庫っていってみな〜」
 「くほ〜っ!がっきゅううんこ〜!」
 その二人の様子を見ながら、この二人は間違いなく母子だと、その場にいた誰もが思った。
 一方そのころ、祐一の父と名雪は―――。
 「ねぇ、高志おじさん」
 道路を走りながら、名雪が祐一の父に声をかけた。
 「おじさん?名雪ちゃん、おじさんはやめてくれよ。俺はまだまだ若いんだからさ。だから、そう……。気軽に高志と呼んでくれ。たっちゃんとかでもいいぞ」
 「高志おじさん………」
 「高志!」
 「……高志さん」
 「高志さんか。うーん。まぁ、それでもいいか」
 祐一の父―――相沢高志がうんうんと頷く。
 「それで、高志さん。訊きたいことがあるんだけど?」
 「訊きたいこと?何?重力ターン方式について?」
 「そうじゃなくって……」
 「じゃあ、あれか。ロケット花火はロケットに含まれるかどうかだろ?あれはな、実は含まれるんだ。ロケット花火も立派な固体ロケットだ。固体ロケットというのはな―――」
 「高志さん。それも違う……」
 「ロケット花火のことじゃないのか?それならジェットエンジンとロケットエンジンの違いだな。この二つの違いは使用する環境の違いからきている。ジェットは大気中で使うから周りにいくらでも酸素がある。対してロケットは宇宙で使うから当然周りに酸素がない。ジェットエンジンは周囲の酸素をファンを使って取り込んで―――」
 「それも違うんだお〜」
 「え?これも違うのか。じゃあ、何だい?」
 高志が首を捻る。
 「とりあえず私が訊きたいのは〜」
 「訊きたいのは?」
 「私たちは、どこに向かって走っているのかってこと」
 名雪にいわれて、高志ははたとその足を止めた。
 「そうだ。春奈をまいたんだから、もう走ってる必要はないんだよな」
 高志が自分の走ってきた方向を振り返りながらいう。
 名雪はそんな高志を見つめながら、やはりこの人はどこか祐一に似てるなぁと思った。
 「そういえば、名雪ちゃん。よく俺のことがわかったなぁ。最後に会ったのは13年前のはずだが……」
 「だって高志さん、すごく面白い人だったから。忘れようとしても忘れられないような人だったから。思い出すと必ず思い出し笑いをしちゃうような人だったから。存在自体がギャグみたいな人だったから。それに、見た感じ、というか、雰囲気が祐一にそっくりだし……」
 「何?俺の雰囲気が祐一に似てるって?」
 名雪がこくんと頷く。
 「そんな馬鹿な。親子だから外見は似てるかもしれないが、内面は全然違うぞ!俺はあんなドラ息子とは違う!似ても似つかない!」
 「きっと祐一も同じこというと思う」
 「ぐっ……」
 高志が押し黙る。
 「それで、高志さん―――」
 名雪がそこまでいいかけたとき、誰かが名雪の名前を呼んだ。
 「名雪さ〜ん」
 名雪が声のした方へ振り向く。
 するとそこには、こちらに向かって手を振っている佐祐理と舞がいた。
 二人はゆっくりと名雪と高志の方へと近づいてくる。
 「あははー。名雪さん、こんにちは」
 「……こんにちは」
 佐祐理と舞が名雪に挨拶する。
 「佐祐理さん、舞さん、こんにちは。大学の帰りですか?」
 名雪も二人に会釈する。
 「やぁ、佐祐理さん、舞」
 名雪の隣で、高志が二人に気さくに声を掛けた。
 「はぇっ?」
 「……!?」
 佐祐理と舞が驚いて高志を見上げる。
 「名雪さん、こちらの方は?」
 「えっと、この人は祐一の―――うにゅっ!?」
 そこまでいいかけたとき、名雪は高志に口を押さえつけらてしまった。
 「佐祐理さん、舞。俺のことがわからないのかい?」
 高志が名雪の口を塞ぎながらいう。
 「えっと……」
 佐祐理が困ったような顔をして、隣に立つ舞を見つめた。
 舞は、高志を見上げながらぽつりと呟いた。
 「気配が祐一に似ている……」
 「はぇ、祐一さんに?」
 佐祐理も高志を見つめる。
 「そういえば、どことなく祐一さんに似ていますね」
 「ははは。実はな、俺は未来からきた相沢祐一なんだ」
 「はぇー、未来から来た祐一さんですか」
 「……タイムトラベル」
 二人とも素直に高志の言葉を信じる。
 そのとき、名雪が高志の手を振りほどいて叫んだ。
 「高志おじさんっ!」
 「む……、名雪ちゃん。高志さんって呼んでっていったじゃん」
 「高志おじさん?」
 佐祐理が眉を寄せる。
 「佐祐理さん、舞さん。この人はね、祐一のお父さんなの」
 「え、お父様!?」
 「……お父さん」
 二人は、今度は驚きながら高志の顔を凝視した。
 「はっはっは。ばれてしまっては仕方がない。実は俺は、あの日本一軽い男相沢祐一の父、世界で最も高いところから落ちた男、相沢高志である」
 高志は腰に手をあてながら、意味もなく高らかに笑った。
 「はぇー、祐一さんのお父さんですか」
 「……なんとなく納得」
 佐祐理と舞は、まだ高志の顔を見つめていた。
 名雪は、意味もなく笑い続けている高志に声をかけた。
 「高志さん」
 「ん、なんだい?」
 「そのタイムマシンで来たって話はなんなの?」
 「ああ、それか」
 「真琴ちゃんやあゆちゃんや美汐ちゃんにもいったよね」
 「単なる趣味だ」
 「だお……」
 「いきなり『俺は相沢祐一の父だ』っていっても面白くないだろ。だから、『俺は未来から来た相沢祐一だ』っていってみたんだ。そしたら真琴ちゃんが信じちゃってさ。それが面白くって、思わず他の子にも試してしまったんだ。それにしても、今どきタイムトラベルなんて話を信じるなんて、純粋な子もいるもんだなぁ」
 名雪は、自分もタイムトラベルの話を信じていたので、何もいい返すことができなかった。
 「あの、高志おじ様?」
 佐祐理が高志に話しかけた。
 「佐祐理ちゃん、おじさんはやめてくれ。高志さんとかたっちゃんとか呼んでちょ」
 「高志さん?」
 「グッド!」
 高志がびしっと親指を立てる。
 「えっと、高志さん。どうして佐祐理たちのことがわかるんですか?初対面のはずですよね」
 「あ、それ私も思ってた。高志さん、なんで真琴ちゃんやあゆちゃんのことがわかったの?」
 「ああ、そのことか」
 高志が後頭部をぽりぽりとかく。
 「秋ちゃんがな、いろいろ送ってくれるんだ。手紙とか、写真とか、ビデオとか。それで祐一の友達のことは知ってたんだ」
 「お母さんが?」
 「そうだ。すごい細かい報告書を送ってくれてな。それを読むと祐一のことが手にとるようにわかる。学校ではどんな様子かとか、放課後は何をおごらされているとか、誰が祐一に好意を持っているとか、三角関係どころか複雑四次元多角形な関係になってるのに本人だけは死ぬほど鈍くて気づいてないとか」
 「お母さん、いつのまに……」
 「で、まぁ、祐一のことについては大体知っていたんだが……」
 そういって高志が辺りをキョロキョロと見回す。
 「街並みがこんなに変ってるってのは、秋ちゃんの報告書見てもわからなかったなぁ」
 高志がある種の感慨を込めていった。
 「昔ここに住んでいたんですか?」
 佐祐理が高志に訊いてみる。
 「ああ。ここで生まれてここで育った。高校まではこっちだ。ただ、俺の大学が東京だったとか、じじいが種子島に飛ばされたとか、まぁ、いろいろあって、高校卒業してからはあまりこっちには戻って来なくなったんだ。あ、けど結婚式はこっちでやったなぁ。一応結婚してからも何回か来たが、最後に来たのが13年前だからな。ずいぶんと変ったよ」
 高志が再び辺りを見回す。
 「君たちはここの生まれ?」
 高志が三人に質問した。
 「私はずっとお母さんとこの街に住んでたよ」
 「佐祐理もそうです」
 「私は……、小さいころからこの街にいる」
 「そうか。ならちょっと訊きたいことがある。というか、教えて欲しい場所がある」
 「場所?どんな場所ですか?」
 「昔さあ、この辺りに草原があったの知らない?」
 「草原ですか?」
 「そう。結構広い草っぱらでさ、今ぐらいの季節になると草が黄色っぽくなってきて、夕日を浴びると金色に輝くんだ」
 高志が、懐かしの黄金の草原を思い浮かべる。
 「そんな草原があったの知らない?」
 高志の質問に、名雪と佐祐理がすまなそうな顔をした。その顔を見て、高志がふっと息を吐いた。
 「そうか、知らないか……」
 「すみません。お役にたてなくて……」
 「いやいや、そんなことないよ」
 そういう高志の顔は笑っていたが、その肩はがっくりと落ちていた。
 そんな、体中で中年男の疲れを表現しているような高志に向かって、舞がぽつりと声を掛けた。
 「……たっちゃん」
 「たっちゃん?」
 「そうやって呼んで欲しいって、さっきいってた」
 「確かにそういったが……」
 「嫌なの?」
 舞の質問に高志が首をぶんぶんと横に振る。
 「そんなことないぞ。いや〜、この歳でたっちゃんと呼んでもらえるとは思わなかったなぁ。しかもこんなに若くて可愛い娘に」
 高志が「若くて可愛い」を強調しながらいった。それを聴いて、舞が少し顔を赤くする。
 「それに舞ちゃん、君はとっても美しい。この終末に出会えた軌跡を、はかない女神、君と過ごしたい」
 高志がさりげなく舞の手を取る。
 「ちょっと、高志おじさん!」
 名雪が横から高志を叱りつけた。
 「おっと。つい、いつもの癖が……」
 高志が頭の後ろをかく。
 舞は、ちょっとドキドキしながら胸を押さえた。
 「で、何の話をしてたんだっけ?」
 高志が舞の顔を見る。
 舞は一度小さく深呼吸をして、心を落ち着かせてからいった。
 「私は、その黄金の草原のことを知っている」
 「え?本当にっ?」
 高志の顔がぱあっと明るくなる。
 「舞ちゃん、どこにあるのかわかるの?」
 「今はもう、その場所はない。けど、草原があったところなら―――」
 「案内してくれるかな?」
 舞は返事をする代わりに、学校に向かって歩み出した。
 (続く)
 
   
  
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