Beyond the Time


track 5 「Self Control」




 学食には、生徒たちがまだ何人か居残っていた。

 食堂は既に閉まっているので、食べ物を注文することはできない。

 しかし、ジュースの自動販売機は一日中稼動していたし、何よりテーブルが食堂が閉まったあとも解放されていたので、放課後ここは学生の溜まり場になっていた。

 授業が終わってから今まで、ずっとおしゃべりをしていた生徒たち。

 部活の帰りに何となく立ち寄った生徒たち。

 この場所で部活動をしている生徒たち―――。

 どれもこれも、いつもの光景である。

 しかし今日は、いつもと違う集団が一番奥のテーブルに陣取っていた。





 「いいわね〜、今の学生は。私が学生のころは、学食なんてものはなかったわ。小さな購買部はあったけど、すぐに売り切れになっちゃったから、昼休みは戦争だったわね。か弱い私には辛かったわ〜」

 いつもと違う集団の中でも、一層異様な人物―――服装どころか年齢からしてこの場に似つかわしくない女性がいった。

 「誰がか弱いだ。妖怪ばばあが」

 テーブルの端に座っていた祐一が小さな声でいう。

 しかしその言葉は、女性―――相沢祐一の母にしっかりと聴かれていた。

 「誰がばばあですって」

 祐一の母が、目の前に置かれていた割り箸を祐一に向かって投げる。

 箸は見事に祐一の脳天にヒットした。

 「さて、あのバカ息子はほっといて、自己紹介しなきゃね」

 そういって祐一の母がテーブルをざっと見回す。

 テーブルには、先程校門にいたメンバー―――香里、栞、真琴、美汐、あゆ、北川、祐一が座っていた。

 「私の名前は相沢春奈。あまり認めたくないんだけど、そこのドラ息子の母親よ」

 春奈が祐一を指差す。

 「ちなみに旧姓は安中春奈。どっかの駅の名前と読みが一緒だったりするわけ。おもしろいっしょ」

 そういって春奈は机をばんばんと叩いた。

 「何くだらないこといってんだよ。だいたい母さんの旧姓は深沢だろ」

 「あ、ばらしたな祐一。母さんのネタを台無しにして」

 「そんなローカルなネタがわかるか!みんなの顔を見てみろ」

 春奈が香里たちを見る。6人は何が何だかわからないという顔をしていた。

 「あれ?」

 「ほらみろ。安中榛名なんて駅、誰も知らないんだよ」

 「ちっ。鉄道マニアの前でこれやると結構うけるんだけどな」

 「俺たちは普通の高校生だ」

 そういって祐一がため息をつく。

 「あの……」

 栞がおずおずと春奈に声をかけた。

 「春奈おばさんは―――」

 「ストップ栞ちゃん!」

 「は、はい」

 「おばさんはやめて。春奈お姉さん、もしくは春奈さん。あと春ちゃんとか呼んでくれてもいいわよ」

 「……春奈さん」

 「何?」

 「春奈さんは、鉄道ファンなのですか?えっと今、駅名がどうのこうのっていってたので……」

 「全然」

 一秒で否定する春奈を見て、栞があっけにとられる。

 「栞、だからさっきいったろ。この生物とまともなコンタクト―――」

 祐一が最後までしゃべる前に、割り箸が何本も祐一の頭に突き刺さった。



 「春奈さんって、お母さんに似てるけど、お母さんと結構違うんだね」

 真琴が春奈を見ながらいった。

 「お母さん?ああ、秋子のこと。そういえば、真琴ちゃんは秋子の娘だったわね」

 春奈が真琴を暖かい目で見つめる。

 「真琴。秋子さんと、このばばあが違うのは当たり前だ。同じわけがない。だいたい、うちのばばあ―――」

 机の端から投げかけられた祐一の言葉は、どこかから飛んできた醤油瓶によって遮られた。

 「黙ってろ、ドラ息子!……で、真琴ちゃん。私と秋子が違うって?」

 「うん。お母さんは結構おっとりしてるのに、春奈さんは、何ていうか、とっても元気……」

 それを聴いたとたん、春奈が真琴に詰め寄る。

 「そうなのよ!真琴ちゃん、あなたもそう思うのね!」

 春奈が真琴の手をとって上下に動かす。その勢いに真琴は思わずたじろいだ。

 「私がこんな性格なのに、秋子ったらあーじゃない。学生時代からずいぶんといわれたわ。『春奈は太陽の暴君で秋子は月の女神』だって。たぶん、私は生まれてくるときに秋子の分の元気も持ってきてしまったのよ。それでおしとやかな女らしい部分を置いてきてしまったんだわ」

 「そして化け物になった」

 そう呟いた祐一の額に塩の瓶が炸裂する。

 「ああ、可哀想な私。私だって女らしく生きたかったのに、まわりが『巴御前』とか『女三四郎』とかおだてるから調子にのってしまって。もっと女らしく生きたかったわん。真琴ちゃん。真琴ちゃんはこんな生き方しちゃダメよ」

 そういって春奈は真琴を抱きしめた。

 真琴はとりあえず首を縦に振る。

 それを横目で見ながら香里は思った。

 さすがは相沢君の母親。性格が全然つかめないわ―――と。



 「えっと、春奈さん―――」

 今度は美汐が春奈に尋ねた。

 「何?美汐ちゃん」

 「どうして私たちの名前がわかるのですか?」

 「あ、そういえば―――」

 香里も春奈の顔を見る。

 「ああ、そのことね」

 春奈は笑いながらパタパタと手を振る。

 「秋子がね、手紙とかでいろいろ教えてくれるのよ」

 「へ〜、秋子さんがね〜」

 北川が妙に感心する。

 「すごいわよ。秋子の手紙には何でも書いてあるんだから。誰が何年生で誰が誰と同じクラスだとか、誰が祐一に好意を持っているとか、誰が祐一の天敵であるとか。祐一を取り巻く複雑多角形阿鼻叫喚の世界とか」

 「うーん、さすがは秋子さんだな」

 北川の呟きに全員が思わずうなずいた。



 「で、いったい母さんは何しに来たんだよ?」

 割り箸や醤油瓶を頭から振り落しながら、祐一が自分の母親に訊いた。

 「何しにって、親が息子の顔を見に来ちゃいけないの?」

 「本当にそれだけなのか?」

 「本当にそれだけよ」

 「じゃあ、何で知らせなかったんだ?」

 「あんたを驚かそうと思って」

 「……」

 祐一があんぐりと口を開ける。

 「何よ、変な顔して。本当に私は何も企んでないわ」

 「私は?ってことは、親父が何か企んでるのか?」

 祐一が訊いた瞬間、春奈が鬼のような形相をした。

 「そ〜なのよ〜。あの人が何か企んでるのよ〜」

 春奈が祐一の首に片手を回し、自分の方へ引き寄せる。

 「あんたの父親がね〜、何かよからぬことを企んでるみたいなの〜」

 そういって祐一の頭をぐりぐりと拳で撫でまわした。

 「うぐぅ、もしかして春奈さんが祐一君のお父さんを追いかけていたのも、祐一君のお父さんが何かを企んでたから?」

 あゆが少しびくびくしながら春奈に訊いた。

 「そうよ〜、あゆちゃ〜ん」

 春奈が不動明王のような顔をあゆに向ける。

 「うぐぅ!」

 あゆは失神しそうになるのを何とか踏み止まった。



 「とにかく、みんな聞いてちょうだい」

 春奈が背後にオーラを漂わせながらいう。

 そのあまりの迫力に、北川は思わず生唾を飲み込んだ。

 「今日、私たちが秋子のところに着いたのは10時頃だったわ。着いた後しばらくは、私と秋子とあの人でお茶を飲みながら話していたのよ」

 春奈の話を聴きながら、美汐は先程購入した缶入りのお茶を一口飲んだ。

 「それでね、11時ぐらいにあの人がトイレに行くって席を立ったのよ。ここまでは普通よね。けどね、それから30分ぐらいしてもあの人は帰って来なかったわけ」

 30分?それはいくら何でも長いですねと北川が相づちをうつ。

 「そのとき私はピンと来たわけよ。あやしいってね。それで真っ先に玄関を調べたら、あの人の靴がなかったのよ!」

 普通真っ先に玄関を調べたりするか?と祐一は思ったが、そのことを口に出すことは自分の命に関るのでやめた。

 「それは、その、春奈さんに黙ってどこかに出掛けたってことですよね」

 栞が春奈に訊く。

 「そう。あの人は私の目を盗んでコソコソと出掛けて行ったのよ。いったいどこに?どこに行ったというの?うだつのあがらない宿六が、妻に知られないように行くとこっていったらどこよ!?」

 春奈がドンと手近にあったものを叩く。

 「それはやっぱり、愛人―――」

 しゃべってしまってから、香里ははっと口を閉じた。だが、それは既に遅かった。

 「そうよ!愛人よ!」

 香里の言葉を受け、春奈が興奮しながらバンバンと机を叩く。

 その音は学食中に響いたが、そこにいた学生たちは皆、音を発している人物に戦慄を覚え、見て見ぬふりをした。

 「あの人ったら、私たちの故郷に愛人を囲ってたのよ。それで愛人に会う為に、この街に帰って来たんだわ。考えてみれば、休みが取れたからここに来ようっていったのはあの人だったし、あの人にしては熱心にそれを勧めていたわ!」

 春奈は両手に力を込め、さっきから掴んでいたものを締め上げる。

 「あの、春奈さん。祐一君が泡を吹いているんだけど……」

 あゆにいわれて始めて、春名は自分の息子にヘッドロックをかましていることに気付いた。

 「あら、祐一。ごめん」

 春奈が無造作に手を放す。

 祐一はテーブルの上にぼとっと倒れた。

 それを見た北川は、ああゆう育て方をされたから相沢は丈夫なんだなと妙に感心した。

 「春奈さん。それは全部推測ですよね。まだ愛人と決まったわけではないのでは―――」

 香里が、愛人といってしまったことに責任を感じながらいった。

 「いいえ!愛人よ!あの人は生まれながらの女ったらしだわ!きっとそうだわ!そうに違いないわ!」

 春奈が椅子を蹴って立ち上がる。そして拳を振り上げなら叫んだ。

 「証拠だってあるわ。あの人、街中で私の顔を見た瞬間逃げたのよ!おもいっきり怪しいじゃない!妻から逃げる夫!これはまさしく愛人がいる証拠よ!」

 そんなもの何の証拠にもならないと香里は思ったが、先程のような失態を犯すのを恐れ、黙っていた。



 「ねぇ、美汐」

 春奈の話をじっと聴いていた真琴が美汐に尋ねた。

 「何ですか?真琴」

 「あいじんって何?」

 「そ、それはですね……。真琴、世の中には知らなくてよいこともあるんです」

 「え?美汐も知らないの?」

 「私は知って……。そうです。私も知らないことです」

 「へ〜、美汐でも知らないことってあるんだ」

 真琴が意外そうにしてる横で、美汐は少し頬を赤くしていた。



 「殺す!現場を押さえて殺してやるぅぅ!」

 相変わらず春奈は吼え続けていた。

 「落ち着けよ、母さん!セルフ・コントロールだ!Self Control!」

 「粉々にするさ!」

 「Self Control!」

 「バラバラにするさ!」

 祐一が何とか春奈を押さえつけようとする。

 しかし、春奈の暴れ方が凄まじく、思うようにいかない。

 「あの人を殺して私も死ぬぅぅ!」

 「あのくそ親父が殺せるか!殺せるんならとっくに俺が殺してる!」

 「じゃあ、代わりに祐一!あんたを殺す!」

 「俺を殺してどおすんだ!何も解決しないぞ!」

 「なら私は誰を殺せばいいの!そこにいるあゆちゃん!」

 「うぐぅっ!!」

 春奈に睨まれたあゆは、あまりの恐ろしさに失神する。

 「とにかく、落ち着けよ。ほら、座って」

 祐一が春奈を強引に椅子に座らせる。

 「何か買ってきてやるから、それ飲んで落ち着け」

 そういって祐一が、自販機の方へと足を向けた。







 「あれ?」

 祐一は、自販機の前に知っている顔がいるのに気付いた。

 「あ、祐一さ〜ん」

 向こうもこちらに気付づき、缶ジュースを抱えながら、こちらに向かってくる。

 それは、佐祐理だった。

 「珍しいとこで会いますね」

 「はい。佐祐理も高校の学食に来たのは久しぶりです」

 「ジュースを買いに来たんですか?」

 祐一が、佐祐理が両手で抱いている飲料水の缶を見ていう。

 缶は全部で四本あった。

 「はい。みんな喉が乾いているのではないかと思って、佐祐理が買いに来たんですよ」

 「へ〜、さすがは佐祐理さん。気が利くなぁ」

 「そんなことないです」

 「で、みんなって誰ですか?」

 「佐祐理と、舞と、名雪さんと、高志さんです」

 「ふ〜ん、舞と名雪と高志……、たかしぃ!?」

 祐一は、佐祐理の口からあり得ない名前が飛び出たので、思わず大声をあげた。

 その声に、学食の奥にいた人物が反応する。

 その人物は、椅子やテーブルを跳ね除けながら自販機に向かって突進してきた。

 「ちょっと、そこのあなた!」

 その人物―――春奈が祐一をふっ飛ばしながら佐祐理に尋ねる。

 「今、高志っていったわね!」

 「はい。いいましたが……」

 「あなた高志を知ってるの!どこにいるかわかるの!」

 「高志さんですか?今、佐祐理たちと一緒にいますよ」

 「一緒にいる!?さては!さてはあなたが愛人ね!」

 春奈が佐祐理に襲いかかろうとする。それを祐一が身を呈して止めた。

 「どけ!ドラ息子!」

 「落ち着け母さん!これは俺の先輩の佐祐理さんだ!」

 祐一にいわれて、春奈は佐祐理の顔をじっと見る。

 「祐一の友達の佐祐理ちゃん……」

 「はい。佐祐理と祐一さんは友達です」

 「さてはあの人……。秋子からもらった手紙見て佐祐理ちゃんのこと気に入って、秘密裏に連絡取ってたのね!それで今回密会しに来た!」

 春奈が再び暴れだす。

 「母さん!くそっ!俺だけじゃ無理だ!おおい、北川!母さん押さえるの手伝ってくれ!」

 祐一が北川に助けを求めた。

 「頼む!北川!」

 「月曜日の昼飯」

 「Aランチ!ジュース付き!」

 「よし、俺に任せな」

 北川が祐一を手伝う。そして二人して何とか春奈を佐祐理さんから引き離した。

 「祐一さん、その方はどなたですか?」

 佐祐理が、祐一と北川によって引き離されていく春奈を見ながらいった。

 「恥ずかしいことだが、その昔、俺を生んでくれた生物だ」

 祐一が春奈に噛み付かれながら答えた。

 「ということは、祐一さんのお母様ですよね」

 「そういうことになる」

 「はえー。今日はすごい日です。祐一様のお父様だけでなく、お母様にも会うなんて」

 佐祐理がジュースの缶を抱きながら笑った。

 「佐祐理さん。さっき親父と一緒にいるっていいましたよね」

 「はい。いいましたよ。あ、そうだ。佐祐理はこれをみんなに持っていく途中だったんです」

 そういって佐祐理さんが抱いているジュースに視線を落とす。

 「親父はどこにいるんだ?」

 「高志さんですか?今裏庭で舞や名雪さんと一緒にいますよ」

 「裏庭ね!」

 体を押さえつけられている春奈が、首だけを佐祐理の方へ向けた。

 「裏庭に行けば、あの人が―――高志がいるのね!」

 「はい。まだいると思いますよ」

 佐祐理の言葉を聴いた途端、春奈は祐一と北川を引きずって走り出した。

 「ぐはぁぁぁぁ!」

 「うわぁぁぁぁ!」

 二人は必死に抵抗するが、春奈はお構いなしに走っていく。

 そしてあっという間に学食を飛び出していった。

 「あははー。さすがは祐一さんのお母様。元気ですねー」

 その様子を見ていた佐祐理が、率直な感想を述べる。

 「佐祐理さん」

 学食に取り残された香里が佐祐理に声をかけた。

 「あ、香里さん。それにみなさんも」

 「裏庭に行けば、相沢君のお父さんに会えるの?」

 「はい。会えると思います」

 「そう……」

 香里がみんなの方へ振り返っていった。

 「せっかくだから、裏庭に行ってみましょ」

 香里の言葉に、みんな頷く。

 「あははー。佐祐理はもとからそのつもりでしたよー」

 佐祐理さんが、満面の笑みでそういった。





 (続く)


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