その街は、常に甘い薫りで覆われていた。
至る所から甘い蒸気を噴き出し、
街の全貌を、深い薫りの中に隠しているのだ。
この土地には砂糖以外、燃料として使用できるものが生産されなかったのだ。
それがこの世界に、異常とまで言えるほどの砂糖蒸気機関の発達を促したのである。
その甘い薫りに紛れて、数多くの怪人、怪盗が現れ、
人々は夜の闇と伴にその甘い薫りすら、平和を脅かすものとして恐怖した。
その薫りに覆われた街を我々はこう呼ぶ。
スウィート・シティと。
探偵水瀬名雪
すべてがジャムになる
the perfect mother
#1 「Fate」
(避けられない運命、或いは、必然)
「雨……、もうすぐやむかな?」
そういって彼は傘越しに空を見上げた。
灰色の雲に覆われた空。
天から降りてくる霧のように細かい雨粒が、レンガ造りの建造物郡に染み込んでゆく。
湿った空気の中を、彼はゆっくりとした足取りで歩いていた。
彼はどちらかというと小柄な人間だった。黒いコートを着、黒い傘を差している。彼はコートのフードを頭から目深に被っていた。そのため、顔を窺うことはできない。だから、実際彼が男なのか女なのかを判別することはできなかった。
表通りにはほとんど人が歩いていなかった。まだ朝早いのと、雨が降っているのがその理由であろう。
ある建物の前まで来たところで、彼は足を止めた。そのまま建物を見上げる。
建物の入り口の扉のガラス部分には、『水瀬探偵事務所』と書かれていた。
「さてと……」
彼は扉を見ながら、片手をコートのポケットにいれ、中から紫色の封筒を一通取り出した。
「招待状だよ……」
彼はその紫色の封筒を、扉の横に備え付けてあった郵便受けに入れる。
「お母さんが待ってるから……」
彼は封筒がしっかりと郵便受けに入ったのを確認してから、再びゆっくりと歩き出した。
ぬれた歩道をブーツで踏みしてゆく。
ふと彼は道の隅にあった水溜りを覗き込んだ。
水面には、光り輝く灰色の空が綺麗に映っていた。
「ああ、やっぱりやんだね」
彼は傘ごしに天を仰いだ。
空一面を覆うねずみ色の雲。所々にある雲の切れ目から、陽光が斜めに差し込んできている。
朝独特の、人の体の中を吹き抜けて行くような清楚で清涼な空気が、すぅっと通りを吹き抜けた。彼は傘をたたみ、全身で風の心地よさを感じる。
雨はいつのまにかやんでいた。
彼はしばらく風に身を任せたあと、「やっぱり外の方が気持ちいいや」と呟いて、そのまま街の中へと消えていった。
(続く)
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