「他の人ならそうかもしれません。けど、私たちにとっては違います。なぜならその手紙が来るまで、私たちのことを知っている人は全くいなかったのですから」




探偵水瀬名雪
すべてがジャムになる
the perfect mother
#4 「Fraud」
(偽りの空間、偽りの会話)



 「外は暑かったよなぁ……」
 そんなことを思いながら、祐一は白一色で塗られた室内を見回した。
 白いデスク。白いスチール。白い壁面には絵の一枚もかかっていない。部屋の温度は一定に保たれており、天井で輝くライトが暗いことも眩しすぎることもなかった。
 すべてが調整された空間。
 そこには、必要とされたもの以外何もない。
 「なんて殺風景な部屋だ。接客室なんだから、観賞用の植物くらいおきゃあいいのに」
 祐一は整った部屋に不快感を覚える。
 そもそもその不快感は、この四季研の建物に一歩踏み込んだときから始まっていた。
 
 祐一が四季研についたのは、ちょうど12時ごろであった。
 四季研究所は、那賀野駅から少し離れたところにある、小さな丘の上にあった。
 ぎらぎらと太陽が照りつけるなか四季研に続く坂道をだらだらと登っているときは、祐一は早くクーラーの効いている研究所の中に入りたいと切に願っていた。
 しかし、坂を登りきり四季研の巨大な建物を目の前にしたとき、祐一の心の中に広がったのは「不快感」であった。
 四角い外観。
 白い外壁。
 箱を連想させる外見。
 そのどれもが気に食わない。
 不快感は建物の中に入ってからいっそう強くなった。
 「なぜだ?」
 祐一は自分に問う。
 しかし、その理由はわからない。
 ただもう本能的に、体の奥底に沈む意識がこの建物を拒むのだ。
 建物に入ったあと、祐一は受付に自分の身分を明かしてから来訪目的を告げた。
 受付の女性は祐一のことを冷たい目で一瞥してから、祐一を接客室と書かれた部屋に案内した。
 「しばらくここでお待ちください」
 そういって受付嬢は部屋を後にした。
 「美人なのに愛想がない。実にもったいない」
 祐一はそんなことを考えながら、部屋にあった白色のスチールに腰を下ろし、誰かがやってくるのを部屋を見まわしながら待った。


 その人物は、待ち始めてから5分ぐらいでやってきた。
 祐一は立ち上がって挨拶をする。
 部屋に入ってきたのは男だった。30歳ぐらいだろうか。きちんと着込んだ背広の胸元には、「研究所副所長 榎木 哲」と書かれたプレートが付けてある。
 男は無表情で祐一の向かいに腰掛けた。
 「こんにちは。副所長の榎木と申します」
 榎木が名刺を差し出す。
 祐一はそれを受け取った後、警察手帳を提示して己の身分を名乗った。
 「あの、警察の方がどういったご用件で?」
 榎木が怪訝そうな顔で祐一を見る。
 「実はですね、これがうちの方に届いたんです」
 そういって祐一は、怪盗うぐぅからの予告状をデスクの上に置いた。
 「ちょっと拝見します……」
 榎木が予告状を手に取る。
 「怪盗うぐぅ?あの、5月ごろに騒ぎになった……」
 榎木が予告状から目を逸らさずに言った。
 「そうです。そのうぐぅです。ヤツがお宅に泥棒に入ろうとしているんですよ」
 「何かのいたずらじゃないのですか?」
 榎木が予告状をデスクの上に置く。
 「そう思う根拠は?」
 祐一が訊く。
 「この予告状に書いてあるクレイジー・サンなのですが、このようなものはうちにはありませんので」
 榎木が答える。
 「隠してあると書いてありますが?」
 「隠すも何も、ないものはないのです」
 「本当ですか?」
 「こんなことで嘘をついたってしょうがないじゃないですか」
 榎木が眉をつりあげる。
 「わかりました。ここにはクレイジー・サンはないんですね」
 「そうです」
 「じゃあ、この予告状の内容はどうなるのでしょうね?」
 「さあ、それを考えるのが警察の仕事なのではないのですか?」
 榎木が祐一を睨みつける。
 この男、どうやら警察の来客を快く思ってないらしい。
 ――警察に限らず、誰の来客でも嫌うんだっけな。
 祐一は北川の言葉を思い出す。
 「相沢さん、警察はこのいたずらの予告状の為に、わざわざうちに来たのですか?」
 榎木が祐一に訊いた。
 「まだいたずらと決まったわけではありません」
 「しかし、ないものを盗むといっているのですから、いたずらでしょう」
 「確かに、もし本当にクレイジー・サンがないのなら、そう考えるのが普通でしょうね」
 「ですから、先程からないと申しています」
 「しかし、相手がうぐぅの場合は別です」
 「別とは?」
 「うぐぅは、盗むものとは違うものを予告状に書くのです」
 祐一は嘘をついた。
 「違うもの?それはどういうことですか?」
 榎木が祐一に尋ねる。
 「普通、ある物を盗むと予告状に書かれていたら、それを重点的に守りますよね。ところがうぐぅの狙う物はいつだって別の物なんです。予告状に嘘を書き、そちらに注意を向けさせた上で、警備が手薄になった本命の品を盗む。それが怪盗うぐぅの手法なんです」
 「それはなかなかしたたかな泥棒ですね。けど、それでもやっぱりこの予告状はおかしいです。もともとうちにはクレイジー・サンなんてないのですから、注意をそちらに逸らすことなんてできないじゃないですか」
 「けどそれは、うぐぅの勘違いかもしれません」
 「勘違い?これから盗みに入ろうという場所に何があるのかがわからない泥棒なんていますかね?」
 「うぐぅにとっては、本命の品があることさえ確認できていればいいのです。だから、その他のことに関しての確認はそんなに正確には行っていないのでしょう。実際過去のうぐぅの事件でも、これと似たようなことがありました」
 「そうなのですか。それで、怪盗うぐぅはうちの何を狙っているのですか?」
 「さすがにそこまではわかりません。宝石か、お宅の技術か、それとも技術者みたいな、特別な能力を持った人間か――」
 特別な能力を持った人間。
 祐一がそういった瞬間、榎木の眉がほんの少しだけ動いた。
 ――やはり「神」はいるのか?
 祐一は榎木の顔色を窺う。
 「警察は、この予告状を見て、うちに泥棒が入ると判断したわけですね」
 榎木が祐一にいった。
 「はい。予告状通り、本日中に怪盗うぐぅが現れると思います」
 「それはご忠告ありがとうございました。早速本日の警備体制を強化することにいたします。それでは、相沢さん。お気をつけてお帰り下さい」
 榎木はそういって立ち上がった。
 「え!?ちょ、ちょっと待って下さい」
 祐一が慌てて榎木に声をかける。
 「何ですか?」
 「あの、今日俺がここに来たのは、ここを警護するためなんですが……」
 「警護?あなたが四季研を?」
 「はい、そうです。怪盗うぐぅの魔の手から財物を死守するために――」
 「必要ありません」
 「へ?」
 祐一は呆気にとられる。
 「うちの警備体制は優秀です。四季研の技術の粋を集めた警備システムと、民間の警備会社にもひけをとらない優れた警備員で研究所内の安全を守っていますので、外部の方々の手を借りる必要は全くないのです」
 「しかし、相手はあの怪盗うぐぅですよ」
 「関係ないですね。うちの警備は鉄壁です。どんな泥棒だろうと、中に入ることすらできないでしょう」
 「万が一ってことも……」
 「ありえません」
 榎木は祐一をねめつける。
 その目は「早く帰れ」といっていた。
 ――くっ、ここで引き下がるわけにはいかない。
 祐一は何とか四季研に留まる理由を考える。
 そもそも祐一が四季研に来たのは、怪盗うぐぅを捕まえるためではなかった。ここに来た本当の目的は、警備にかこつけて研究所内部を探索することである。
 「神」や「お母さん」の手がかりを探るチャンスなのだ。だから、ここで帰るわけにはいかない。
 「どうしました?」
 榎木が不機嫌そうに訊いた。
 ――明らかに早く追い出したがっている。やはり見られてはいけない何かがあるんだな。
 祐一は榎木の態度から直感的にそれを感じた。
 ――なんとしても四季研内を調査したいのだが……。
 「まだ何かあるのですか?何もないのなら私はこれで……」
 榎木は部屋を出て行こうとする。
 「いえ、ですから警護を――」
 祐一が食い下がる。
 「先程申し上げたとおり、必要ありません」
 「いや、警察の目的は警護ではなく、犯人の逮捕なので、その為に研究所内に待機して――」
 「それでしたら、怪盗うぐぅを捕獲後、すぐさま警察の方へひきわたします」
 「いや、ひきわたすんじゃなくて、直接に――」
 「直接的でも間接的でもなんら変わりないでしょう」
 「その、捕まえたらすぐに警察の影響下に置きたいので――」
 「では、丘の麓に職員用の社宅があるので、そちらでお待ちいただければよいでしょう。捕まえてからすぐにそこへ送れば、そうですね、10分とかからないと思います」
 祐一が言葉を言い切る前に、榎木が反論する。
 榎木はあくまで祐一を四季研内から追い出そうとする。
 いよいよ手札がなくなった、そう祐一が思ったとき、思いがけない声が部屋の入り口から聞こえてきた。
 「祐一君、久しぶり」
 「え?」
 祐一と榎木が同時に声の方へと振り向いた。
 「そこのおじさん。自分のところの警備を高く評価しすぎだよ。簡単だよ、ここに入るのなんて」
 「な……」
 榎木がうめき声を出す。
 部屋の出入り口の前。そこに、いつのまにか怪盗うぐぅが立っていた。
 「怪盗うぐぅ……」
 祐一が唖然とする。
 「やっほー」
 うぐぅが祐一に手を振る。
 「きさま、どうやって……」
 榎木が喉の奥から声をひねり出す。
 「それは怪盗の秘密だよ」
 うぐぅがクスクスと笑った。
 「ま、まさか、本当に来るとは……」
 祐一が半ば呆然としていう。
 「何いってんの、祐一君。ちゃんと予告状を出したよ」
 うぐぅがデスクの上の予告状を指差す。
 「確かに予告状はあるが、だって、クレイジー・サンはここにはないんだぞ」
 「そうだね。確かに四季研には、クレイジー・サンはないね。だけどね、祐一君。ここではクレイジー・サンと同じものを作ろうとしているんだよ」
 「き、きさま、どうしてそれをっ!」
 榎木がふいに大声をあげた。
 「おじさん、秘密ってのはね、どうやったって洩れるんだよ。何かをどこかに閉じ込めておくってことは、そもそも無理があるんだよ」
 「き、貴様、何をいっている――!」
 「いっとくけどね、そこの祐一君は、『神』のことを知ってるよ」
 「なにっ!」
 榎木が祐一を一瞥する。
 「警察ごときの情報収集能力で、『神』のことが……」
 「おじさんは何も知らないんだね。祐一君が誰なのか。警察署を存続させたのが誰なのかを」
 「どういう意味だっ!」
 「おじさんは知らなくていいよ」
 うぐぅはコロコロと笑ったあと、祐一に向かっていった。
 「祐一君?」
 「な、なんだ?」
 「真実を知りたいんでしょ。ならついて来て」
 「どこへ行くんだ?」
 「会わせてあげるよ、お母さんに」
 うぐぅがドアを開けて廊下に飛び出す。
 祐一も半ば無意識に、うぐぅの後を追って部屋を飛び出した。
 あとに残された榎木が慌てて廊下に出たときには、二人の姿はもう見えなくなっていた。


 (続く)


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