いつも通りな話です。



 その街は、常に甘い薫りで覆われていた。

 至る所から甘い蒸気を噴き出し、

 街の全貌を、深い薫りの中に隠しているのだ。

 この土地には砂糖以外、燃料として使用できるものが生産されなかったのだ。

 それがこの世界に、異常とまで言えるほどの砂糖蒸気機関の発達を促したのである。

 その甘い薫りに紛れて、数多くの怪人、怪盗が現れ、

 人々は夜の闇と伴にその甘い薫りすら、平和を脅かすものとして恐怖した。

 その薫りに覆われた街を我々はこう呼ぶ。



 スウィート・シティと。





探偵水瀬名雪
私がここにいる理由
you and I
#1「依頼人」



 「いいだろ、名雪」
 祐一が私の肩に手を置きながらいった。
 「まだ昼間だよ……」
 私は口では否定してみる。
 「確かに昼間だけどさ、俺はこのごろ、夜は忙しいから」
 そういって、ため息をつく祐一。
 確かに祐一はこのごろ毎晩仕事をしている。
 あの例の香里たちの事件が終わったあと、6月後半と7月は取り立てて事件もなく、祐一も「退屈だ〜」とかいって良く私のところによく来てた。
 それで、二人で香里たちの行方や「お母さん」について調べてたんだけど……。
 そうそう。私は私なりに自分の記憶についても考えてみたんだ。
 けど、ダメだった。どうしても7年より前のことが思い出せないの。
 祐一や私のお母さんに訊いてみるって手もあるのかもしれないけど、どうもいい出せなくって、まだ訊いたことがないの。
 どうも訊き難いんだよね。なんでだろ。
 えっと、話が逸れちゃったね。もとに戻すよ。
 それで、6月7月は二人とも結構余裕があったんだけど、8月に入って、怪盗貴族さんという女の子を専門に誘拐する人が現れるようになってから、警察官の祐一はまた忙しくなってしまった。
 怪盗貴族さんは、他の怪盗さんと同じように夜に活動する。
 だから祐一も夜中に仕事をすることが多くなって、私に会いに来る事も少なくなってしまったんだ。
 それに比べて私は、水瀬名雪探偵事務所はかなり暇だった。
 だって、ここのところ依頼がないんだもん。
 あっても、「部屋でなくした時計を探して欲しい」とか「行方不明の犬さんを探して欲しい」みたいな、長くても半日で解決しちゃうような依頼ばかり。
 だったら、祐一のことを手伝ってあげればと思うかもしれないけど、夜がすごく弱い私に夜活動する怪盗貴族さんを追いかけるのはちょっと無理があるんだ。
 それに、祐一からまだ依頼されてないし。
 え、頼まれなければ手伝わないのかって?
 うん。そう。私はそうしてる。
 冷たいって思うかもしれないけど、そうじゃないの。
 祐一は警察の仕事に誇りを持っている。
 一生懸命に毎日の仕事をこなしている。
 私はそんな祐一を邪魔したくないの。
 祐一は祐一なりにがんばってるんだから、そこに他人が余計な手だしをする必要はないと思うんだ。
 それに、祐一は手伝って欲しいときは素直に自分から頼みにやって来る。
 自分の力だけでは無理だと判断したときは、私や北川君に協力を求めてくる。
 だから私は、祐一に頼まれて初めて祐一のお手伝いをすることにしてるの。
 その代わり祐一に頼まれたら、私は自分のできる限りのことをするよ。
 そうでないと、祐一に失礼だからね。
 それで、今回はまだ祐一に頼まれてないから、まだ私は祐一の様子を見守ってるだけなんだ。

 「で、名雪。どうだ?」
 祐一が目をきらーんと光らせながら私に尋ねた。
 「どうって、だから、まだ昼間……」
 私は窓の外を見る。
 夏の日差しに照らされた街並みは、眩しいぐらいに輝いている。
 「夜会えないんだから、昼しかないだろ」
 祐一が横目でベットを見ながらいう。
 「けど、いつかみたいにお母さんから電話がかかってくるかもよ」
 「電話なんか無視すればいい」
 祐一が強引に私の体をベットに倒す。
 「あ、待ってよ、祐一……」
 「いいだろ、名雪……」
 祐一が私の耳元で囁く。
 頬のあたりがぽぅっと熱くなってくる。
 きっと今私の顔は真っ赤なんだろうな。
 目の前には祐一の顔。
 私はドキドキしながらゆっくりと目を閉じて。
 祐一の気配がだんだん近づいてきて―――


 ちりん、ちりん―――

 「わっ!誰か来たよ!」
 事務所の扉に新しく取り付けたベルの音を聴いて、私は慌てて跳ね起きた。
 「なんだ?回覧版か何かか?」
 「お客さんかもよ〜」
 私は扉の方を見る。
 そこには私と同じぐらいの年の女の子が一人、部屋の中を見回しながら立っていた。
 「こんにちは〜」
 私はその女の子に声をかける。
 女の子はきょとんとした顔をしながら私の顔を見つめ、それから丁寧に頭を下げた。
 「あの〜、うちに何か用?」
 女の子に訊いてみる。
 「すみません。ここは水瀬名雪探偵事務所ですよね」
 「そうだよ〜」
 私の答えを聴いて、女の子がほっとした顔をした。
 「探偵の事務所って、もっと殺風景なところかと思ったんですけど、けっこう違うんですね」
 女の子が室内を見渡しながらいった。
 確かに私の事務所には、お人形さんがいたり、ベットがあったりして、探偵の事務所ってよりは女の子の部屋って感じがするかも。
 「立ってるのもなんだから、ここに座って〜」
 私はソファーの上に座っていたけろぴーに横にどいてもらって、その席を女の子に勧めた。
 女の子が静かにソファーに腰をおろす。
 なんか、とっても落ち着いた感じのする女の子だね。
 「なぁ、名雪」
 部屋の奥にいた祐一が私に声をかけてきた。
 「お客さんか?」
 「そうみたい」
 「そうか。だったら、俺は邪魔だな」
 祐一が帽子掛けから自分の帽子をとる。
 「今日は俺は署に戻るよ。また、暇がとれたらな」
 そういって祐一は、事務所の扉から外へと出ていった。
 「あの、今の方は?」
 ソファに座ってた女の子が私に尋ねてくる。
 「今のはね、祐一だよ。警察官なんだ」
 「え、あの方が帝都警察……」
 女の子が今祐一が出て行った扉を見つめる。
 「私もね、こういう仕事をしてるから、よく祐一と会うんだ。お互い助け合ってるんだよ〜」
 私の答えに、女の子は深々と頷いた。
 やっぱりこの子、少し落ち着いたところがある。というか、どこかおばさんくさい……。

 「えーと、それで。あなたはうちに用件があって来たんだよね?あと、できればあなたの名前を教えて欲しいんだけど……」
 「あ、そういえば、まだ名乗ってませんでしたね。失礼しました。私は天野美汐と申します」
 「天野美汐さん……。美汐ちゃんって呼んでいい?」
 「え?ええ。構いませんが……」
 「それで美汐ちゃん。私に何か依頼があるの〜?」
 「はい。頼みたいことがあって、ここに来ました」
 美汐ちゃんがそういった瞬間、私は胸の中で小躍りした。
 だって、依頼だよ。
 久々の依頼なんだよ。
 探偵としての血が騒ぐよ〜。
 「要件を訊かせてくれる?」
 私は胸のうちでドキドキしながらも、表面上は冷静を装って美汐ちゃんに訊いた。
 探偵が落ち着いて構えてる方が、依頼者も話易いんだお〜。
 美汐ちゃんも私の様子を見て、一度息を吐いてから、落ち着いた感じでゆっくりと話始めた。
 けど美汐ちゃんの場合、落ち着いてるってのはもともとの性格かも。
 「実は、人を探して欲しいのです」
 「人探しですか……」
 うにゅ〜、時計とか犬さんとかじゃなくて、人だよ〜。
 探偵の基本だよ〜。
 大事件の予感がするよ〜。
 「探して欲しいのは、この子なんです」
 そういって美汐ちゃんが写真を一枚取り出す。
 そこには、一人の女の子が写っていた。
 写真の子も、美汐ちゃんと同じぐらいの年齢。とっても明るくて元気って感じ。
 「この子の名前は、沢渡真琴です。真琴は―――三日前から行方不明なんです」
 美汐ちゃんが写真を見つめながらいった。
 「行方不明?」
 「はい。三日前、私、用事があって孤児院を離れたのですが……」
 「孤児院?美汐ちゃんは孤児院で暮らしてるの?」
 「あ、はい。私と真琴は二人とも身寄りがないので、稲荷山にある篠ノ井孤児院というところに置いてもらっています。私たちはそこで、仕事を手伝いながら暮らしているのです」
 「ごめん……、変なこと訊いちゃったね」
 「いいえ、別に隠すようなことでもないですから。それで、三日前のことなのですが。その日、私は屋代のスーパーまで買出しにいっていました」
 「屋代?孤児院は稲荷山にあるんだよね。じゃあ、少し遠出したんだ〜」
 「ええ。その日、屋代のスーパーが特売日だったもので」
 「うにゅぅ……」
 「スーパーから帰って来たのは夕方の6時でした。テレビで6時のニュースをやっていたから、それは確かだと思います」
 「帰ってすぐに、いないって気付いたの?」
 「はい。真琴はいつも6時からテレビを見るんです。ところがその日は、テレビの前に真琴がいませんでした。それでそのとき、ニュースを見ていた院長先生に真琴を見ませんでしたかと尋ねたところ、そういえば、昼に見たきり見ていないとおっしゃられ」
 「真琴さんを最後に見たのは院長先生なの?」
 「違います。院長先生に訊いたあと子供たちにも訊いてみたところ、3時頃に孤児院を出て行くのを見たって子がいました」
 「3時だね。それで結局その日、真琴ちゃんは帰ってこなかった……」
 「はい。一昨日も、昨日も、そして今日も帰ってこないのです」
 美汐ちゃんが膝の上の拳に視線を落とした。
 「私、もう真琴のことが心配で……、真琴とはずっと一緒に暮らして来たんです。楽しいときも悲しいときも、あのときから、お互い離れることは一度もなかったんです。なのに、いきなりいなくなってしまって……」
 美汐ちゃんの瞳に涙が溜まる。
 「それに今、怪盗貴族という誘拐犯が世間を騒がしていて、もし真琴がその人にさらわれたのかと思うと、もう、胸がはりさけそうで―――」
 美汐ちゃんが小さくしゃくりあげた。
 そしてぽろぽろと涙を膝の上に落とす。
 私はそれを静かに見つめていた。
 こういうときには、言葉は役にたたない。
 本人が落ち着くのを、ただゆっくりと待つだけ―――
 やがて美汐ちゃんは自分を取り戻し、失礼しましたといって涙を拭った。
 それを見て、私は美汐ちゃんに再び声をかける。
 「ねぇ、美汐ちゃん。このことを警察には届けた?」
 「ええ。いなくなったその日のうちに。けど、警察は……」
 美汐ちゃんはそこで言葉を切った。
 たぶん、いまいち信用できないといいたかったんだと思う。だけど、さっきうちに祐一が来てたから、その言葉を飲み込んだんだ。
 うにゅ〜。
 祐一も一生懸命がんばってるのに、なかなか認めてもらえないよ〜。
 なんだか悔しいなぁ。
 そんなことを考えてた私のことを、美汐ちゃんが不安そうに見つめた。
 そういえば、まだいってなかったね。
 「美汐ちゃん―――」
 「は、はい」
 「真琴ちゃんが寄りそうなところを詳しく教えてくれる?」
 「え、それじゃあ―――」
 「水瀬探偵事務所は、全力をあげて真琴ちゃんを探すよ。はやく見つかるといいね」
 私の言葉を聴いて、美汐ちゃんはありがとうございますといって頭を下げた。
 
 (続く)



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