目的―――
 そんなものが、本当にあるの?





探偵水瀬名雪
私がここにいる理由
you and I
#4「家政婦」



 『ピンポーン』
 玄関のチャイムを鳴らしてからしばらくしても、中からは何の反応もなかった。
 この屋敷の主は、チャイムを鳴らしてもすぐには玄関に出てこない。
 その理由は、目の前の洋館を見れば一目瞭然だろう。
 そう。屋敷がバカでかいのだ。
 だから、ちょっと玄関に出てくるのにもえらい時間がかかる。
 一人で住んでるんだから、こんなに大きくなくたっていいと思うのだが、どうやら金を持つと、こういう無駄にでかい建物を建てたくなるらしい。
 「へんっ!うらやましくなんてないぜっ!」
 暇を持て余した俺は、庭の方に目をやってみる。
 陽光の中、庭の中央に備え付けられた噴水は、涼しげに水しぶきをあげていた。
 噴水を中心として咲き乱れている向日葵の黄色が、痛いぐらいに眩しい。
 「俺もこういう家に住んでみたいよな〜」
 そう心の中で思ったとき、屋敷の扉がすぅっと開かれた。
 「よお、相沢」
 扉から顔を出した、頭部にアンテナを持った親友が俺に声をかけてくる。
 「よお、北川」
 俺はその親友―――北川に、片手で挨拶を返した。
 「まぁ、立ち話もなんだから、入れよ。中はクーラーが効いてるぞ」
 そういって北川が扉を大きく開ける。
 俺は「邪魔するぜ」といいながら、北川の屋敷にあがりこんだ。

 「相沢が来んの、久しぶりだな〜」
 北川が『客間その3』でソファーに腰掛けながらいった。
 「ここんとこ、忙しくてな」
 そういいながら、俺も近くのソファーに腰掛ける。
 ソファーは、大きくてふかふかな、いかにも高そうなものだった。
 「忙しい理由はわかってるぞ。ずばり当ててやろう。怪盗貴族のことだろ」
 北川が得意げにいった。
 「そりゃまぁ、毎日新聞に載ってるんだ。わかって当たりまえだな」
 「確かにそうだよなあ。毎日載るってことは、奴は野放しってことで、警察は役にたってないってことだもんな」
 北川が意地悪く笑う。
 俺はそんな北川を見て、少しほっとした。
 2ヶ月前の事件。
 例の怪盗ビューティー・ムーンの事件があってから、北川はしばらく元気がなかった。
 まぁ、自分が好いている女性が犯人であったのだから、致し方がないことであろう。
 それで、夏だというのに鬱陶しくじめじめと塞ぎこんでいる時期もあったのだが、どうやら持ち前の明るさを取り戻したらしい。
 こいつは、明るさを失ったらバカと金しか残らない人間だから、俺は親友として本当に心配したもんだ。
 「ん?誰がバカだって?」
 「いや、なんでもない。こっちの話だ」
 「そうか」
 うーん……、また声に出てたのかな?
 「そうだ、相沢」
 北川がいきなりぽんと手を叩いた。
 「怪盗貴族に連日惨敗の憂き目にあって、心身の底まで疲弊しているお前を、癒してやろう」
 北川の顔が変ににやける。
 「癒す?まさか、おまえ、そっちの気が……」
 俺のことを優しく愛撫する北川……
 あぱらちゃのもげーたっ!!
 体中に鳥肌がぁ!
 「バカっ!何、変なことを想像してやがるんだっ!!」
 「だって、お前が癒すとかいうから―――」
 「アホか!俺はお前が癒されるような音楽を聴かせてやろうと思っただけだ!」
 「音楽?」
 なんだ、音楽か。
 俺はてっきり……、想像するのはもうやめよう。
 「思いっきり癒される奴を聴かせてやろう」
 そういって北川が、部屋の隅に置いてある蓄音機にレコードをセットした。
 「って、今ごろレコードなのか?」
 「ふっ、俺の趣味だ。煉瓦造りの洋館。豪華なシャンデリア。真っ赤な絨毯。柔らかなソファー。総革張りの安楽椅子。一枚板の重厚なよく磨かれた木のテーブル。芳醇なブランデー。そして蓄音機から流れる少し掠れたメロディー。これぞ金持ち〜!!」
 北川が胸を張る。
 確かにそれらは全て、この客間に存在していた。
 う……、うらやましかなかとねんっ!
 北川がレコードに針を下ろした。やがて、蓄音機から女の人の歌声が流れ出す。
 それは、高く透き通るような、それでいて力強く芯のある、心に染み入るような歌声であった。
 そのメロディーは、どこか非常に懐かしい。
 遠い遠い昔の情景。暖かい思い出のような何かを呼び起こす。
 しかし、俺がそこに感じるものは、懐古ではなかった。
 どちらかというと、不安。
 足元が崩れ去り、自分が霧散していくような、そんな危うさ。
 ふと隣を見てみる。
 北川は、心地よさそうに曲に聴き入っていた。
 すると、不安を感じているのは俺だけなのだろうか?
 何故だ?こんなに優しくて暖かなメロディーなのに―――。
 「ど〜だ、いい曲だろう」
 北川が俺に同意を求めてくる。
 「これ?誰の曲だ?」
 「これはだなぁ。今最も売れている美少女アーティスト。ユーリ・桜の『白い壁』って曲だ」
 「ユーリ・桜か……」
 知ってはいたが、曲を聴くのは初めてだ。
 傍らでは、北川が曲に酔いしれている。
 しかし俺は、どうもそんな気分になれなかったので、さっさと要件を切り出すことにした。
 「おい、北川」
 「ん〜、なんだ?」
 「今日ここに来たのはな、お前に頼みたいことがあったからだ」
 「仕事の話か。たまにはゆっくりと休めよ」
 「仕事を片付ければゆっくり休める」
 「そりゃそうだな。仕方ない、協力してやるか。で、頼みって何だ?」
 北川が立ち上がってレコードを止める。
 「とりあえず、これを見てくれ」
 俺は持ってきたファイルを北川に手渡した。
 北川はファイルを受け取り、それにざっと目を通す。
 「ん、これは、怪盗貴族の被害者のリストか?」
 「そうだ。それでな―――」
 俺はファイルを覗き込む。
 「この被害者の女の子たちなんだが―――」
 「相沢、あれだろ。被害者はみんな金持ちなんだろ。新聞にも載ってたぜ。なんでも怪盗貴族はブルジョワジーに対して敵意を抱いてるとかなんとか……」
 「みんな金持ちだっていうのは当たってる。だが、それだけじゃないんだ」
 「まだ他に共通点があるのか?」
 「そうだ。調べていくうちにな、この子たちはみんな、7月に開催された『Sマシーン展』に参加しているってことがわかったんだ」
 「ああ、あれか。川中島でやったやつだろ。俺も行ったぞ」
 「やぱっりか。このSマシーンオタクが」
 「そういえば、最新式のSマシーンの横に女の子が立ってるブースがいくつかあったっけ」
 「主催者側に訊いたところ、自分のところのSマシーンと同じぐらい、自分のところの娘を自慢したい馬鹿が何人もいたみたいでな。わざわざ会場に立たせていたらしい」
 「まぁ、たいがい可愛い娘だったから、いい目の保養になったが……」
 「おまえみたいな奴の目の保養になってるぐらいなら、別に問題はなかったんだ」
 「というと?」
 「どうやら怪盗貴族もその会場で彼女たちに目をつけたらしい。被害者の女の子たちに訊いてみたところ、みんなその日、会場で立ってたっていうんだ」
 「ふーん、良く調べたな。じゃあ、あとはその女の子たちを重点的に警護すればいいだけじゃないか」
 「そうなんだけどな。他にどんな子がその場にいたのかがわからない」
 「わからない?そんなの主催者に訊きゃあいいじゃん」
 「訊いたけど、教えてくれないんだな、これが」
 「どうして?」
 「大富豪のプライバシーがあ〜たらこ〜たらってとりあってくれない。おまけに警察は信頼できないとまでいわれた。だから、北川。おまえに紹介状を書いて欲しいんだ。一応お前、金持ち連中の間では、親分的なところがあるからな」
 「そういうことか。ああ、いいよ。んなもんで良ければ何枚でも書いてやる」
 「おお、心の友よ〜」
 俺は北川に抱きつこうとする。
 北川はそれをひょいっとよけて、傍らにあったベルを鳴らした。
 「捨てた〜、北川が俺を捨てた〜」
 「気色の悪いことを言ってるんじゃねぇ!蹴り殺すぞっ!」
 「冗談はさておき、今鳴らしたベルはなんだ?」
 「これか?これは漢の浪漫だ」
 北川がにんまりと笑う。
 「またメイドでも雇ったのか?」
 「お、さすが相沢。わかってるね〜。まさにその通りだ」
 「可愛いか?」
 「すぐ来る。楽しみに待っとけ」
 北川が言い終わるのと同時に、部屋の扉がガチャリと開かれた。

 「何かお仕事?」
 部屋の入り口には、小柄な女の子が立っていた。
 もちろん、メイド服を着ている。
 女の子は可愛くて、萌えだった。
 「萌え?」
 女の子が首を傾げながら俺に訊いてくる。
 その仕草がまた可愛かったりした。
 ―――ん?どこかで見たことあるような……。
 「何か用なの?」
 女の子が北川に尋ねる。
 「ああ。便箋とペンを持ってきてくれ」
 「わかったわ」
 返事をするとすぐに、女の子は廊下の先へと消えていった。
 「いつ雇ったんだ?」
 「5日前」
 「名前は何ていうんだ?」
 「真琴ちゃん―――沢渡真琴ちゃんだ」
 「ふーん。真琴っていうのか。可愛い名だなぁ―――沢渡真琴っ!?」
 その名前を聴いた瞬間、俺の脳内に電撃がはしった。
 俺は慌ててポケットの中から手帳を取り出す。
 「確か、5日前に受理した捜索願が―――」
 ぱらぱらっとページを捲る。するとすぐに目的のページにかち合った。
 「あ、やっぱりそうだ!沢渡真琴だ!」
 俺はページをたたきながら歓喜の声をあげた。
 5日前、帝都警察に捜索願が出された。「行方不明の女の子を捜して欲しい」というものだ。秋子さんがそれを受理し、俺の方に話がまわって来たので、怪盗貴族の捜査の合い間に探していたのではあるが、まさかこんなところで出会えるとは。
 手帳に記入してあった失踪人の名前は『沢渡真琴』。そこに挟んであった写真に写っているのも、まさにあの女の子であった。
 「うおっ!なんたる偶然。沢渡真琴が見つかったよ!」
 「なんだ。相沢も真琴ちゃんを探してたのか」
 喜ぶ俺を見ながら、北川が「またか」という顔をする。
 「へっ?俺もってことは、他に誰か彼女を探してる奴がいるのか?」
 「昨日な、水瀬がうちに来たんだ。そんとき、水瀬も真琴ちゃんを見て、『わっ!すごい偶然だよっ!真琴ちゃんが見つかったよ!』って喜んでたぞ」
 「名雪が昨日ここに来たのか?」
 「なんだ、知らなかったのか。そういえば、『相沢は一緒じゃないのか?』って訊いたら、『祐一なんて知らない』っていってたなぁ。お前ら、ケンカでもしたのか?」
 「ケンカ?そんなことするわけないだろ」
 「そうか?それにしちゃぁ、水瀬の態度が変だったが……」
 「そんなのはお前の気のせいさ。それより、真琴のことを依頼主に知らせなきゃ。えっと、確か秋子さんは、『天野美汐さん』っていってたかな?」
 俺は手帳で名前を確認する。依頼主の名前は確かに天野美汐であった。
 「北川、ちょっと電話借りるけどいいか?」
 「相沢。真琴ちゃんを探してる人って、天野美汐って名前か?」
 「なんで知ってる?」
 「水瀬が今日連れてくるって」
 「え?ああ、そうか。名雪も同じ人に依頼されてるわけだな。そりゃ、当たり前か」
 とうことは、ここで待ってれば、天野美汐に会えるってわけか。
 「なぁ、北川。少し待たせてもらうが、構わないか?」
 「構わんぞ」
 そこへ、先程の女の子が紙束とペンを持ってやって来た。
 「持って来たわよ」
 女の子がそれらをテーブルに置く。
 「じゃあ、北川。名雪たちが来る前に、紹介状の方を頼むわ」
 「お前は?」
 「俺か?俺は―――そうだな。えーと、真琴さん?」
 「ん?何?」
 「ちょっと話しないか?」
 「いいわよ」
 メイド服の女の子が、隣のソファーに腰を下ろす。
 俺は名雪が来るまで、その女の子―――沢渡真琴と話をすることに決めた。
 とりあえず、どんな女の子か知りたいし、5日前とそれから今までの間のことを訊きたかったからでもある。
 テーブルの方から、「主が一生懸命紹介状書いてるのに、その横で客とメイドが楽しそうに談話してるなんて間違ってる!」という声が聴こえてきたが、俺はあえてその言葉を無視した。

 (続く)




戻る