生活―――
 いつのまに、当たり前になってしまったの?





探偵水瀬名雪
私がここにいる理由
you and I
#5「失踪人」



 「本当にここに真琴がいるのですか?」
 お屋敷を見上げながら美汐ちゃんがそう呟いた。
 「そうだよ。ここにいるはずだよ」
 「ここに……」
 美汐ちゃんは、まだ建物を見上げてる。
 たぶん、目の前のこのお屋敷に圧倒されてるんだと思う。
 その気持ち、良くわかるな。
 私もときどき気後れしちゃうもん。
 それぐらい、今目の前にある北川君の家は大きいんだ。
 「昨日ね、ここに来たときはいたんだ。それで、今日会う約束をしておいたから、ちゃんといると思うよ」
 「そうですか……」
 美汐ちゃんが、建物を見つめながら返事をする。
 「それにしても、なかなか出てきませんね」
 視線をドアの方に移しながら、美汐ちゃんがいった。
 実際、チャイムを押してから結構な時間が経っていたりする。
 「北川君ちは広いから、いっつも出てくるまでに時間がかかるんだよ。今ごろ、長い廊下をこっちに向かって歩いているところじゃないかな」
 「そんなに広いのですか?」
 「うん。だって、今、目の前にあるやつ。玄関だもん」
 「え、これが玄関……」
 美汐ちゃんは再び建物を見上げ、そのまま絶句する。その目の前で、木製の大きな扉が静かに開かれた。
 「よお、水瀬」
 扉から顔を出した、頭にアンテナの生えている男の子―――北川君が挨拶をしてくる。
 「およ、本当に名雪が来た。ん?それに、隣にいる君は―――」
 北川君の背後から、スウィート・シティ警察の刑事さん―――祐一がひょっこりと顔を出し、私と美汐ちゃんを順に見ながらいった。
 って、何で祐一がここにいるんだお〜?


 私たちは、北川君の家の長い長い廊下を歩いていた。
 「そっか、君が天野美汐さんだったのか」
 「私も、相沢さんが帝都警察の方だとは思いませんでした」
 歩きながら、祐一と美汐ちゃんが会話をしている。
 う〜。
 祐一、昨日の女の子の次は美汐ちゃんなの?
 「なぁ、水瀬」
 「わっ!」
 「なんだよ、そんなに驚くなよ」
 「き、北川君……、なに?」
 北川君が、私の顔をまじまじと見る。
 「相沢とケンカでもしてるのか?」
 「へっ?そ、そんなことないよ。だって、私は私で祐一は祐一だから、ケンカも何もないんだよ」
 私の言葉を聴いて、北川君がぷっと笑った。
 「酷いよ〜」
 「水瀬。相沢のあの軽薄な性格は昔からだ。あんまり気にするな」
 「き、気にしてなんてないもん」
 「今、ジト目で相沢と天野さんをにらんでたぞ〜」
 「えっ!?」
 「ははは、ジェラシーってか」
 じぇらし〜?
 私、祐一に近づく女の子に嫉妬してるのかな〜?


 「さて、天野さん」
 北川君が天野さんに声をかけた。
 「今、この部屋の向こうに真琴ちゃんがいる」
 北川君が立派な木の扉を指差す。
 美汐ちゃんが、ごくんと唾を飲み込む。
 「心の準備のほうはいいかい?」
 北川君の問いに、美汐ちゃんは短く「はい」と答えた。
 「じゃ、あけるよ」
 そういって、北川君が木の扉をゆっくりと開けた。

 「あ、潤」
 部屋の中にはメイド服を着た女の子が一人いた。
 その女の子は、確かに昨日見た真琴ちゃんだった。
 「いわれた通り、紹介状を封筒に入れて封印しておいたわよ」
 真琴ちゃんがこちらに向かってとことこと歩いてくる。
 そして、手に持った封筒を北川君に渡そうとしたところで、その動きをぴたっと止めた。
 その視線は、北川君の隣に立っていた美汐ちゃんに向けられていた。
 「みしお……」
 最初に声をかけたのは真琴ちゃんだった。
 「真琴っ!」
 美汐ちゃんも真琴ちゃんの名前を呼ぶ。そして、わっと真琴ちゃんに抱きついた。
 「良かった。無事だったのですね」
 美汐ちゃんが真琴ちゃんをきゅっと抱きしめる。
 「美汐、心配してくれてたの?」
 「そうです。当たり前です」
 「ありがとう」
 真琴ちゃんがふわっと笑う。
 「心配してたのは私だけではありません。子供たちも、院長先生もです。さぁ、真琴、みんなのところに帰りましょう」
 美汐ちゃんが少し涙ぐみながらいう。
 しかし、その言葉を聴いた真琴ちゃんは、美汐ちゃんからふっと顔を背けた。
 「美汐……、私は帰らないわ」
 「え?」
 美汐ちゃんが驚きの表情を浮かべる。
 「帰らないって……、何をいってるのですか、真琴。みんなも心配してるから、はやく……」
 「あたしは、孤児院には帰らないわ」
 真琴ちゃんが、さっきより少し強い口調でいった。
 「まこと?」
 「あたしはしばらくここで暮らすの」
 「ど、どうして……」
 美汐ちゃんが眉を寄せる。
 そんな美汐ちゃんに、真琴ちゃんが語り続ける。
 「美汐。あたしは自分で孤児院を出たの。そして、自分でここに職を見つけたわ。だから、しばらくはここで生きていくの」
 「自分で孤児院を出た―――ですか?」
 「そうよ。あたしは一人で生きていくために自分で孤児院を飛び出したの。誰の力も借りずに、自分の力で生きようと思ったから、美汐にも誰にも何も言わずに出て来たのよ」
 「真琴、どうしたのですか、急に……」
 「急にじゃないわ。ずっと思ってたことよ。たまたまあの日、手紙が来たから実行しただけで、いつもそうしようと思ってたわ。とにかく、あたしは孤児院には帰らないことにしたの」
 「待ってください、真琴。そんな、私に何の相談もなく……」
 「だって、美汐に相談したら、あたし一人の力じゃなくなっちゃうじゃない。それに、美汐はきっと、あたしと一緒に行こうとするし」
 「そうです。真琴一人じゃなく、私も……」
 「それじゃダメなのよ。美汐と一緒に居たら、あたしの理由が見つからないわ」
 「理由!?」
 「そう理由よ」
 「真琴も、理由を……!?」
 「そういうわけだから、美汐。孤児院のみんなにも説明しておいてね」
 真琴ちゃんが北川君の方へと顔を向ける。
 「潤」
 「な、なんだ?」
 「まだ何か仕事ある?」
 「いや、いまのところないが……」
 「そう。じゃぁ、あたし、部屋で休ませてもらうわ」
 それだけいうと、真琴ちゃんは部屋の外へと出ていってしまった。



 「大丈夫?美汐ちゃん」
 「あ、はい。すみません。これで、二度目ですね……」
 美汐ちゃんは、私に向かって小さく頭を下げたあと、ゆっくりと深呼吸をした。
 さっき、真琴ちゃんが出ていったあと、美汐ちゃんはちょっとしたパニックに陥った。
 私は慌てて、立ちすくんだまま苦しそうに呼吸をしている美汐ちゃんを、部屋のソファーに座らせて休ませた。私はその向かいのソファーに腰を下ろし、美汐ちゃんが落ち着くのを待った。
 北川君と祐一も、なんとなく部屋に残っていた。
 美汐ちゃんはしばらく小さく肩を震わせてたけど、そのうちそれも収まって、今は本来の落ち着きを取り戻していた。
 どうやら、気持ちの方もだいぶ静まったみたい。
 それにしても、まさかこんなことになるなんて……

 「あの、北川さん」
 美汐ちゃんが北川君に声をかけた。
 「なんだい?天野さん」
 「真琴は、いつごろからこちらに?」
 「5日前からだよ」
 「そう、ですか……」
 5日前っていうと、真琴ちゃんが孤児院からいなくなったその日だね。
 「5日前、そろそろ新しいメイドを雇おうと思って、帝都職安に募集を出しに行ったんだ。そしたら、すごく可愛い子がいたからさ、思わずその場で雇ってしまったんだよ」
 「北川。おまえは初対面の女の子にいきなりメイドにならないかって訊いたのか?」
 「ああ、そうだ」
 「……おまえはやっぱり大物だよ」
 祐一が北川君を見ながら呆れてる。
 「そのとき、真琴は何かいってませんでしたか?」
 「いや、何も。別にこっちも何も訊かなかったからなぁ。別段何も気にしなかったし」
 北川君が、すまなそうに頭の後ろをかいた。
 「北川。おまえ、人を雇うのに何も訊かんのか?」
 「働いてくれりゃぁ、それで十分だろ。それにな、俺の人を見る目は確かだ。俺が選んだ人間に間違いはないっ!」
 北川君が拳を振るう。
 「昔、雇ったメイドが怪盗だったことがあるだろ」
 「うぐぅ!そんなことは忘れた!」
 「はいはい……」
 「それより相沢。人を疑ってかかる商売のおまえの方が、真琴ちゃんからいろいろ話を聴いてるんじゃないのか?さっきだって、水瀬たちが来る前に話をしてただろ」
 「うん、まあな」
 そういって祐一が懐から手帳を取り出す。
 うにゅ、祐一。
 今日は、美汐ちゃんだけじゃなく、真琴ちゃんにも手を伸ばしてたんだおっ!
 だお………。
 う〜、私、やっぱり嫉妬してるのかな?
 祐一は刑事さんだから、話を聴くのは当たり前だもんね。
 じゃあ、昨日の女の子は?
 にゅ〜?
 わ、わからないんだお〜。
 祐一が手帳を見ながら話し始める。
 「さっきまで、真琴ちゃんと取留めないことを話していたのだが……」
 取留めのないこと?それって雑談ってことだよね。
 じゃあ、やっぱり、女の子と会話するのが目的で……って、祐一。メモを取りがら雑談してたの!?
 祐一も大物だお……。
 「ちょっと、このアホの元で働こうと思った動機を尋ねてみたんだ。そしたら、さっきみたいなことをいってたよ」
 「あの、それって……」
 美汐ちゃんが祐一の顔を見つめる。
 「うん。自分が何のためにここにいるかを知りたいからだってさ」
 「私が、ここに、いる、理由―――」
 「そう、それだ。そういってた」
 祐一が美汐ちゃんの言葉にうなずく。美汐ちゃんは、いったん下を向き、一度大きく息を吸った。
 「手紙―――といっていたから、もしかしたらと思っていたのですが……」
 「手紙!?」
 私は思わずその言葉を訊き返す。
 「名雪さん、手紙がどうかしたのですか?」
 「え、いや。ちょっと、気になっただけだから……」
 「そうですか。手紙が……」
 美汐ちゃんがちょっと考える。
 そして、私たちに向かってゆっくりと言葉を発した。
 「あの、私の話を聴いていただけないでしょうか?」

 (続く)




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