今回は番外編です。





 その街は、常に甘い薫りで覆われていた。

 至る所から甘い蒸気を噴き出し、

 街の全貌を、深い薫りの中に隠しているのだ。

 この土地には砂糖以外、燃料として使用できるものが生産されなかったのだ。

 それがこの世界に、異常とまで言えるほどの砂糖蒸気機関の発達を促したのである。

 その甘い薫りに紛れて、数多くの怪人、怪盗が現れ、

 人々は夜の闇と伴にその甘い薫りすら、平和を脅かすものとして恐怖した。

 その薫りに覆われた街を我々はこう呼ぶ。



 スウィート・シティと。






探偵水瀬名雪

怪盗うぐぅの挑戦
a night flight

#1「水瀬名雪探偵事務所」





 「人の事を馬鹿にしやがって」

 祐一はそう呟いてから、机の上に置いてあったコーヒーを胃袋に流し込んだ。

 空っぽになった紙コップを握りつぶしゴミ箱に投げ捨てる。

 紙コップはゴミ箱の端に当たり、外へこぼれ落ちた。

 「くそ、馬鹿にしてやがる」

 祐一は、もう一度呟いた。

 祐一の傍らには新聞が開いて置いてあった。

 新聞には大きく「怪盗うぐぅ、高級上白糖を盗む!」と書かれている。

 その下に掲載されている写真には、屋根の上を走って行く人影と、屋根から無様に落ちる男が写っていた。

 その無様な男こそは、他ならぬ祐一である。

 今日の祐一の機嫌が悪いのは、この写真が原因であった。

 近頃、ここスウィート・シティでは、「怪盗うぐぅ」が世間を騒がせている。

 性別・年齢・その他すべてが謎につつまれた人物であり、煙の様に現れ、夜の闇にとけ込む様に消えて行く。

 いかなるところにも自在に出入りし、目的の物を奪い、そして消えてゆく。

 しかも、この怪盗は、盗みに入る前にかならず予告状を出すのだ。

 それでいて、警察には決して捕まらない。

 どんなに警備を強化しても逃げられてしまう。

 おかげで、近頃警察は無能呼ばわれされている。

 祐一はこの点が一番気にくわない。

 何故なら祐一は、このスウィート・シティを守る刑事だからである。



*   *   *



 「それにしても、こんなマヌケな写真を撮られるとは」

 うーん。我ながら情けない。

 せめてカメラ目線で写っていれば良かったのに。

 撮影者は、フリーのカメラマン、斉藤。

 こいつは後で、危険思想の持ち主ということで投獄しよう。

 それにしても憎きは、怪盗うぐぅ。

 「いったい何者なんだ?」

 仮面をつけているからその素顔がわからない、キザな変態野郎だ。

 バラをくわえてないのがせめてもの救いだな。

 その変態怪盗に毎回毎回逃げられる。

 「だいたい、どうして刑事がオレ一人しかいないんだ」

 そう。実はこの街には、刑事はオレ一人しかいないのである。

 しかも安月給だ。

 「それはですね」

 部屋の入り口の方から声が聞こえた。

 「あ、秋子さん。おはようございます」

 部屋に入って来たのは署長の秋子さんである。

 「おはようございます。祐一さん」

 そう言って自分のデスクに着く。

 ちなみに、この部屋にはデスクは二つしかない。

 刑事が一人に署長が一人。

 ホントにここは警察署か?

 「秋子さん。どうしてオレしか刑事がいないんですか?」

 「それはですね、キャストが足りないからです」

 いきなりとんでもない事を言う。

 「秋子さん、その発言はちょっと・・・・」

 「そうですね。じゃあ、今度他の理由を考えておきます」

 平然と言ってのける秋子さん。

 やっぱ、この人には適いそうもないな。

 「刑事の人数増やして欲しいんですけど」

 「ジャムならありますよ」

 そう言って、オレンジ色のジャムの瓶を取り出す秋子さん。

 ひと口であの世を見れるあのジャムだ。

 それをオレにどうしろと?

 「冗談です」

 しかし、秋子さんにジャムをしまう気配はない。

 気になる。

 何を企んでいるのだろうか?

 とにかく、話題をジャムからそらそう。

 そうしないと、危険だ。

 「やっぱ、幾らなんでも人手が足りませんよ」

 今まで一人で出向いていって、犯人包囲とか言ってたのである。

 そりゃあ、逃げられもする。

 「探偵に頼んだらどうですか?」

 「名雪にですか?」

 秋子さんの一人娘、名雪は、このスウィート・シティで探偵業を営んでいる。

 この街、刑事はいないくせに、探偵は結構いるのだ。

 名雪は、そんな探偵の中でも一応『名探偵』と呼ばれている。

 そしてオレは、過去に何回か事件を手伝ってもらった事があった。

 名雪に頼むと、何故か事件が解決してしまうのだ。

 だが、名雪のめちゃくちゃな捜査せいで、いつもオレが酷い目に会うのも事実である。

 オレに言わせれば、名雪は『名探偵』ではなく『迷探偵』である。

 さて、事件の解決をとるか、身の安全をとるかだが・・・

 「他に手がないのですから、行ってきたらどうですか?」

 確かに、今はネコの手も借りたい。

 背に腹は帰られぬ。

 「そうですね。ちょっと、名雪の所まで行ってきます」

 オレはコートを肩にかけた。

 「祐一さん」

 部屋を出ようとした所を、秋子さんに呼び止められる。

 「何ですか?」

 「これ、名雪に持って行ってあげてください」

 秋子さんは、オレンジ色のジャムの瓶を箱に入れて、オレに手渡した。





 『水瀬名雪探偵事務所』

 そう書かれた扉を開いて中に入る。

 「なゆき〜、はいるぞ〜」

 いつ来ても、探偵の事務所には見えない部屋。

 机の上に並べられた数々の人形。

 ネコ柄のシーツが掛けられたベット。

 その周りには、無数の目覚し時計が並んでいる。

 部屋の真中につったっているケロピー。

 どうやって見ても、普通の女の子の部屋だ。

 「なゆき〜、どこだ〜」

 返事がない。

 耳を済ませてみる。

 「・・・く〜・・・」

 かすかだが寝息が聞こえる。

 「ベットの方から聞こえるな」

 だが、ベットの上には布団以外何も乗っていない。

 念のために布団を捲ってみる。

 「いない・・・・」

 しかし、寝息はすぐ近くから聞こえる。

 「・・・く〜・・・」

 下か!?

 ベットの下を覗き込んでみる。

 そこには、名雪がはまり込んで眠っていた。

 相変わらず器用なやつだ。

 「おい、名雪、起きろ」

 「・・・く〜・・・」

 「起きろぉぉぉ!!!」

 パチッ

 名雪が目を覚ます。

 「あ、祐一。おはよ〜。久しぶり〜」

 そういって、頭を上げようとする名雪。

 ゴンッ

 「・・・いた〜い・・・」

 ベットに頭をぶつけたらしい。

 目に涙を浮かべながら、ベットの下から這い出して来る。

 「いたいよ〜」

 「馬鹿」

 「ひどいよ〜」

 「だいたい、何でベットの下にいたんだ?」

 「張り込みの練習だよ〜」

 「張り込み?」

 「情報収集の基本だよ」

 どこの世界に張り込みの練習の途中で寝てしまう探偵がいるだろうか?

 「名雪、これ秋子さんから」

 ジャムの入った箱を手渡す。

 「お母さんから?じゃあ、中身はジャムだね」

 嬉しそうに箱を受け取る名雪。

 「♪イチゴジャム〜」

 この世界ではジャムは高級品だ。

 ジャムを問わず、砂糖を使うものは大抵が高級品である。

 生産される砂糖は、そのほとんどが燃料にまわされてしまい、食用に使うことは滅多にないからだ。

 だから、喜ぶ名雪を見て、

 『名雪、それは確かにジャムだが甘くないジャムだぞ』

 とは口が裂けても言えなかった。

 「そういえば祐一、今日はどうしたの?まだ、仕事終わる時間じゃないよね?」

 実はオレは、仕事が終わる度に名雪に会いに来ていたりする。

 時たま、二人で事務所にお泊りなんかもしたりしている。

 その後、何をしているかは、秘密だ。

 まぁ、各人の想像どおりであろうが・・・

 「ああ、今日は刑事としてここに来たんだ」

 「刑事として?」

 「ぶっちゃけて言う。怪盗うぐぅを捕まえるのを手伝ってくれ」

 「いいよ。祐一の頼みだもん」

 「すまんな、名雪」

 「依頼費は、1日あたりイチゴサンデー7個にしといてあげる」

 タダじゃなかった。

 しかも、相場より高かった。

 「高いぞ」

 「じゃぁ、特別に、1日1個にしといてあげる」

 おや、今日はやけに簡単に折れたな。

 いつもは、大好物のイチゴサンデーのことになると、もっと駄々をこねるのに。

 「やけに謙虚じゃないか」

 「私だって、怪盗うぐぅを早く捕まえたいもん」

 決意に燃える名雪。

 「そうすれば、祐一も忙しくなくなるよね」

 確かに、近頃、怪盗うぐぅのせいで残業が続いている。

 「祐一と会えない夜が続いたから・・・」

 夜の張り込みなんかもやったりしていたので、ここのところ名雪と会っていなかった。

 そうか、名雪に寂しい思いをさせていたのか。

 そうか・・・・

 「名雪」

 「祐一?」

 ガバッ

 オレは名雪に抱きついた。

 「そんなに寂しかったのか!今、慰めてやるぞ!」

 「わ、祐一、まだ昼間だよ」

 「愛の前に、昼も夜も関係ない!」

 オレは強引に名雪を抱きかかえ、ベットに連れて行った。

 だがしかし!

 ジリリリリン

 ジリリリリン

 「あ、電話だよ」

 「ちっ!」

 名雪が電話を取る。

 「もしもし。こちら水瀬名雪探偵事務所です」

 誰だこんな時に。

 「あ、お母さん。祐一?うん、いるよ」

 秋子さんか。

 「うん。わかった。今代わるよ」

 名雪が受話器をオレの方に差し出した。

 「祐一、お母さんから電話」

 オレは受話器を受け取る。

 「もしもし、秋子さん?お電話代わりました」

 『祐一さん?』

 「はい。そうです」

 『久しぶりの名雪はどうでしたか?』

 「あ、秋子さん?」

 『この所、残業が続いていたから溜まっていたでしょう?』

 「え、ちょっと・・・」

 しどろもどろになるオレ。

 「その・・あの・・・えっと・・・」

 『冗談です』

 受話器の向こうで微笑む秋子さん。

 ホントに冗談なのだろうか?

 『祐一さん』

 「はい」

 秋子さんの声が真剣になった。

 今度は本題らしい。

 『怪盗うぐぅから予告状が届きました』



 (続く)


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