日の落ちた街。

 辺りは黒い闇と甘い煙に覆われている。

 霞み行く世界。

 黒い闇と甘い煙が織り成す白色の霞。

 人々はその闇を恐れ、家々に閉じこもる。

 その家々も霞の中、輪郭が曖昧になってゆく。

 どこまでが此岸でどこからが彼岸か。

 すべての境界線が薄れて行く。

 そして、白い霞に紛れて踊りだす怪人、怪盗。



 今、闇と霞に彩られた屋敷に一人の怪盗が降りたとうとしている。






探偵水瀬名雪

怪盗うぐぅの挑戦
a night flight

#3「八時の鐘」





 「7時50分か・・・」

 オレは時計を見ながら呟いた。

 怪盗うぐぅの予告した時刻は8時。

 北川邸の広間の真中でオレ達は怪盗うぐぅを待ち伏せしている。

 オレの後ろには赤い宝石、怪盗うぐぅが盗むと予告した『エ○ジャの赤石』が安置されている。

 オレはちらりと横を向いた。

 隣で同じように怪盗うぐぅを待ち伏せしている名雪は、案の定寝ていた・・・

 「く〜・・・」

 「名雪」

 「く〜・・・」

 「名雪!起きろ!」

 「く〜・・・」

 ボカッ

 「・・・痛いよ、祐一・・・」

 「おまえなぁ。こんな時に寝るなよ!」

 「どんな時にでも寝れるのが私の特技だよ」

 「やな特技だな・・・」

 「そんなことないよ。便利だよ。校長先生の話の途中とかでも立ったまま寝れたりして」

 「はいはい。わかったわかった・・・」

 オレはため息をついた。

 「祐一、今何時?」

 「7時54分」

 「わっ!大変!学校に遅刻しちゃうよ!」

 慌てて走り出そうとする名雪をオレは捕まえる。

 「午後7時54分だ!だいたい学校ってなんだ!今回は番外編なんだぞ!」

 「あっ!忘れてたよ〜・・・」

 名雪が顔を赤くする。

 まぁ、寝起きの名雪なんてこんなものか。

 「ちなみに今、何をやってるか覚えてるか?」

 「えっと・・・これからここでお食事会?」

 「違う!怪盗うぐぅを待ち伏せしてるんだ!」

 「そ、そうだったね。そういえば、私、探偵だったっけ・・・」

 まだ、寝ぼけているらしい。

 からしでも食べさせれば一発で起きるのだろうが。

 生憎ここにはからしがなかったので、オレはかわりに名雪のほっぺたをひっぱった。

 「うにょ〜ん」

 「にゅ〜、にゃにしゅんのひゅ〜いち〜」

 「ああ、すまん。思わずひっぱってしまった」

 「う〜、祐一、極悪だよ〜」

 「あと5分ぐらいで怪盗うぐぅが来るからな。気を引き締めろよ」

 「それくらい私でもわかってるよ〜・・・く〜」

 「だから、寝るな!」

 ボカッ

 「痛いよ〜」

 「あと5分で怪盗うぐぅが来るって言ってるだろ!」

 「だから、あと5分ぎりぎり寝かせてよ」

 「あのな〜」

 「じゃぁ。私は寝るからね。く〜・・・」

 しょうがない。ぎりぎりまで寝かせてやるか。



 がちゃっ

 部屋の扉が開いて、北川が入ってきた。

 「あと5分だな」

 「北川。どこへ行ってたんだ?」

 「倉庫にこれを取りに行ってたんだ」

 そう言って、北川が巨大なマットみたいなものを取り出した。

 「なんだこれ?」

 「粘着マットさ」

 北川はそのマットをダイヤの置いてある台座の周りに敷いた。

 「これで、ダイヤを取ろうとして足を踏み入れたら、このマットにひっついて動けなくなるはずさ」

 「まるでゴキブリホイホイだな」

 「こっちに敷くのを手伝ってくれ」

 「良し」

 オレは北川と一緒に粘着マットを敷いた。

 「くっついたらなかなか離れないから、気をつけろよ」

 「ああ」

 オレ達は、台座の周りにマットを敷き詰めていった。

 ちょうど全部敷き終わった時、屋敷の中に8時の鐘が鳴り響いた。



 ゴーン

 「8時だ」

 ゴーン

 「起きろ名雪。怪盗うぐぅの予告した時間だ」

 ゴーン

 「うにゅ?」

 ゴーン

 「相沢。ホントに来るのか?」

 ゴーン

 「ああ。今まで怪盗うぐぅが予告を破ったことはないんだ」

 ゴーン

 「どこから来るのかな?」

 ゴーン

 「床下か?天井か?それとも正面からか?」

 ゴーン

 「どこから来ようと関係ない!今度こそ捕まえてやる!!」

 鐘が8回鳴り響いた。

 横の名雪も目を覚ましたようだ。

 そこの所は、一応『探偵』である。

 隣の北川にも緊張が走る。

 ま、緊張したところで北川が使えるようになるとは思えないが。

 オレは、全方角に神経を走らせる。

 さぁ、怪盗うぐぅ。

 来るなら来い!!



 ドゴーンッ!!!

 突然、爆発音が鳴り響いた。

 「なんだ!今のは!」

 「どこかで何かが爆発した!?」

 「あ、見て!」

 名雪が窓の外を指差す。

 窓の外の建物から、もうもうと煙が上がっていた。

 「あれは、食物倉庫だ!!」

 北川が声を上げ、部屋の外に飛び出そうとした。

 だが、

 ビッターンッ!!

 北川は自分で仕掛けた粘着マットを踏んでしまい、その場に倒れた。

 もがく北川。

 アホだ。

 これをアホと言わずして、何をアホと言うべきだろうか!

 「名雪。オレが向こうを見てくる。ダイヤと北川を頼んだぞ!」

 「まかせるだお!」

 オレは部屋を飛び出し、爆発のあった建物、食物倉庫の方へ駆け出した。





 食物倉庫は、壁が爆発で半分吹っ飛んでいた。

 そして、中からもうもうと煙を上げている。

 煙の匂いは甘かった。

 「火事では、なさそうだな・・・」

 火事だったら、もっと黒くて臭い煙が発生するはずだ。

 おそらく、砂糖蒸気機関の排出する煙だろう。

 「空調機でもイカレタのか?」

 オレは、瓦礫を押しのけ倉庫の中を除き見た。

 「!!」

 倉庫の中、白い煙の中心に黒い影が立っている。

 「怪盗うぐぅか!?」

 オレは素早く拳銃を抜き、その人影に照準を併せた。

 「動くな!動くと撃つぞ!」

 「その声は、祐一君だね」

 「黙れ!怪盗うぐぅ!お前に『祐一君』などと呼ばれる筋合いはない!」

 「うぐぅ。酷いよ。ボクと祐一君の仲なのに」

 「うるさい。今日こそ逮捕してやるぞ!」

 オレは拳銃を構えたまま、怪盗うぐぅとの間合いを詰める。

 「さぁ、怪盗うぐぅ。神妙にお縄につけっ!」

 「いくら祐一君の頼みでも、そのお願いは聞けないよ」

 その瞬間、怪盗うぐぅの体が浮いた。

 「じゃーね。祐一君。またね」

 「何!?飛んだ!?」

 怪盗うぐぅの体が、吹き上がる煙と共に、どんどん浮上してゆく。

 とりあえず、オレはほっぺたをつねった。

 「痛い!!」

 夢ではないらしい。

 本当に飛びやがった。

 怪盗うぐぅはある程度の高さまで上ったあと、森の上空へと移動した。

 「待て!」

 オレは慌ててその後を追う。

 怪盗うぐぅは森の上空を風に流される様に飛んでゆく。

 オレも森の中を追う。

 しかし、森の中を走るオレと障害物のない空を飛ぶ怪盗うぐぅでは、オレの方が分が悪い。

 おまけに、この煙と霞である。

 オレは途中で怪盗うぐぅを見失ってしまった。

 「ちくしょうっ!!」

 悔しさのあまりオレは空に向けて拳銃を連射した。







 とりあえず、オレは北川の屋敷に戻った。

 屋敷では、北川が粘着マットにひっついてもがいていた。

 その姿はさながら家庭内害虫である。

 このまま包んで捨てておこうかな。

 「祐一、どこに行ってたの?」

 名雪がオレに問い掛けてきた。

 「怪盗うぐぅを見つけたんだが、逃げられてしまった・・・」

 「ってことは、怪盗うぐぅを追い返すことはできたんだね」

 名雪がそう言って少し微笑む。

 オレは部屋の真中の台座に目をやった。

 そこには、赤いダイヤが鎮座していた。

 「そっか。とりあえず盗みを阻止することはできたのか・・・」

 しかし、逮捕できなかったことには変りない。

 くそっ!

 悔しさのあまり近くの椅子を蹴る。

 椅子はぐらっと揺れた後、もがく北川の上に倒れた。

 「ぐわぁっ!」

 「おお、すまん。北川」

 オレは素直に謝る。

 刑事として人間として、悪い事をしたらすぐに謝るのはオレの信条だ。

 「あ、相沢――――」

 ん?謝り方が足りなかったかな?

 「本当にすまんな。ちょっとイライラしていたんだ」

 「―――謝罪の言葉はいいから、とりあえずこの椅子をどけてくれ」



 オレは北川から退けた椅子に座って、また溜息をついた。

 「今まで、盗みを阻止することもできなかったんだよ。それに比べれば進歩だよ」

 名雪が声をかけてくれた。

 「そうだな・・・」

 確かに、よくばってもしょうがないか。

 今日はこれで良しとしよう。

 明日は明日の風が吹く。

 昨日の失敗はもみ消せとも言うしな。

 「それにしても、怪盗うぐぅは食物倉庫なんかで何をやってたんだろね?」

 「うーん。わからん。明るくなったら調べてみよう」

 「そうだね。じゃあ、祐一、帰ろう」

 「そうだな。もう今夜は来ないだろう」

 オレと名雪は北川に別れの挨拶を告げて部屋を出て行こうとした。

 そんなオレ達を北川が呼び止めた。

 「すまん。助けてくれ・・・・」

 北川は相変わらず粘着マットの上でもがいていた。





 結局、北川の粘着マットが剥がれたのは、夜の10時過ぎだった。

 時間がかかった理由は、マットの粘着力が思ったより強力だったのと、何より、途中で寝ぼけた名雪がマットに突っ込んだせいでもある。

 おかげで、名雪の体はベトベトになってしまい、北川の家の風呂を借りることとなった。

 名雪は、「おっきなお風呂〜」と喜んでいた。

 名雪の入浴中、覗きをしようとする北川と、それを阻止しようとするオレの壮絶なる戦いがあったりもした。

 そんなことをしているうちに、深夜になってしまったので、オレと名雪は北川の屋敷に泊まることとした。

 北川の屋敷の客室は、オレなんかには想像できないほど豪華であった。

 まるで、どこかのホテルに泊まった気分である。

 くそー。いいなー金持ち役。

 さすがに北川の家で名雪と同じ部屋と言うわけには行かなかったので、オレは名雪とは別の部屋でもんもんとしながら寝た。

 そして、次の日の朝。

 出勤してきたあゆの作った朝食を平らげた後、オレ達は、例の食物倉庫を調べに行った。

 ちなみに名雪は未だに寝ていたりする。



 「北川。それで、被害はなんだ?」

 崩れた壁を片付けながら、オレは北川に尋ねた。

 「吹っ飛ばされた壁と扉。そして小豆だ」

 「小豆ねえ・・・・」

 オレは瓦礫を倉庫の外に放り投げる。

 そして、目の前の壁に書き殴ってある文字を見つめた。

 『赤いダイヤは頂いたよ。怪盗うぐぅ』

 「確かに、昔は小豆のことを『赤いダイヤ』って呼んだけどなぁ・・・」

 いつの時代の話だよ。

 怪盗うぐぅは、実は凄い年寄りか?

 結局、オレは怪盗うぐぅの犯行を止める事をできていなかったのだ。

 「はぁ〜」

 深い深いため息が出る。

 「相沢、そうがっかりするなよ」

 「ふぅ〜」

 「うっとおしいやっちゃなぁ。見ろ。敵さんリターンマッチの機会をくれたじゃないか」

 北川がそういって、壁の落書き、さっきの文字の下を指差した。

 そこには、一枚の紙切れが貼ってあった。

 その紙切れには、こう書かれていた。

 『今夜8時、北川邸の黒いモノリスを頂くよ。怪盗うぐぅ』



 (続く)






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