このSSは、間違っても推理モノではありません





 その街は、常に甘い薫りで覆われていた。

 至る所から甘い蒸気を噴き出し、

 街の全貌を、深い薫りの中に隠しているのだ。

 この土地には砂糖以外、燃料として使用できるものが生産されなかったのだ。

 それがこの世界に、異常とまで言えるほどの砂糖蒸気機関の発達を促したのである。

 その甘い薫りに紛れて、数多くの怪人、怪盗が現れ、

 人々は夜の闇と伴にその甘い薫りすら、平和を脅かすものとして恐怖した。

 その薫りに覆われた街を我々はこう呼ぶ。



 スウィート・シティと。






探偵水瀬名雪

月の光にいざなわれ
vanishing body

#1「ビューティー・ムーン」





 ねむいよ〜。

 すっごく眠いよ〜。

 どうして泥棒さん達は、夜になると元気になるんだろう。

 私は眠くって眠くってしょうがないのに。

 だけど、ガマンしなくちゃ。

 だって、私探偵だもん。

 探偵は、眠気なんかに負けてちゃいけないんだもん。

 それにしても、暗い中にいると余計に眠くなるような気がする。

 私が今いる博物館の中は、照明が落ちて真っ暗だった。

 その博物館の暗い廊下を私は走っている。

 すっごく暗いんだけど、非常灯の明りと窓の外からうっすらと入ってくる月の光のおかげで、少しだけ様子がわかる。

 けど少しだけ見えるってのは、逆に怖い気がするよ〜。

 まだ目が慣れてないんだけど、暗闇の中をいっしょうけんめいに私は走ってる。

 足音が博物館に響く。

 たくさんの足音が廊下に反響してる。

 私の足音。

 祐一の足音。

 折原さんの足音。

 そして、もう一つの足音――――――。



 「名雪ぃぃぃ」

 遠くで祐一が私を呼んだ。

 「そっちにいったぞぉぉぉぉ」

 祐一の声が廊下の先から聴こえてくる。

 「うん」

 私は返事をしながら廊下を走っていく。

 前方に真っ直ぐに続く廊下。

 途中、右に曲がる道が1本。

 この廊下を上からみると、片仮名のトの字になるんだと思う。

 その廊下を私の方へ走ってくる人影が二つ。片方がもう片方を追いかけてる。

 一つ目の人影が私の前方で、右の道へと折れた。

 私は、今人影が曲がった道の入り口まで駆けて行く。

 そこでちょうど二つ目の人影と一緒になる。

 「祐一、こっちにいったよ」

 私は右の道を指差しながらその人影―――祐一に声をかけた。

 「あっちからは浩平がきているはずだ。いくぞっ!名雪!」

 祐一はスピードを緩めることなく、さっき人影が折れていった道へと走っていく。

 私も祐一のあとを追って走り出した。



 暗い廊下を走っていく。

 前には祐一。そのもっと前にはさっきの人影。

 祐一と私は今その人影を追いかけている最中。

 しばらく走ると、また廊下の途中に右に折れる道。

 前を走る人影がそこにさしかかったあたりで、廊下のずっと先から誰かがこちらに向かって走ってきた。

 それに気付いた人影は、迷わず右の廊下へと折れていく。

 私と祐一と、廊下の向こうから走ってきた人が、同じタイミングで右の廊下へと走りこむ。

 「やったぞ、祐一。この先は行き止まりだ」

 「作戦通りだな、浩平」

 「ああ」

 祐一と走ってきた人―――折原さんが、走りながらそんな会話をする。

 私は二人のうしろを走っていく。

 ちょっとすすむと廊下は左に折れる。

 その角を曲がった先は袋小路になっていた。

 幅3m、長さ10メートル程の廊下。

 両側の壁には何枚か絵がかかっているだけで、窓も扉もない。

 突き当たりの壁にはおっきな窓が一つ。その両脇に変な形の大きな銅像が置いてあるだけ。

 完全な行き止まり。

 その廊下の先に、さっきの人影がこちらを向きながら立っていた。



 窓の外には大きな月。

 窓から差し込む淡い月明かり。

 月光を背にして立つ人影。

 人影の身長は祐一と同じぐらい。

 その人影がちょっと身をよじる。

 そのとき、人影の手の中のものが一瞬光った。

 とても幻惑的な光。

 その光で人影の姿が一瞬だけ明らかになる。

 全身を包み込む真っ黒いローブ。

 流れる長い金髪。

 顔を覆う、目だけが覗いている仮面。

 見るからに怪しい格好。

 昼間みたら思わず尾行したくなっちゃうと思う、それぐらい変な姿。

 そんな怪しい人影に、祐一と折原さんが近づいて行く。

 「もう逃げられないぞ―――」

 祐一がいった。

 「―――ビューティー・ムーン!飴玉『ジュ・オー』窃盗の現行犯で逮捕する!」

 祐一が、懐からだした警察手帳を人影に突きつけた。

 そう。今目の前にいる人影こそ怪盗ビューティー・ムーンさん。

 ここのところスウィート・シティを騒がしてる連続飴玉泥棒さん。

 そして博物館の中を、私と祐一と折原さんで追いまわしていた人。

 その追い詰められたビューティー・ムーンさんは、ゆっくりと私達を見渡した。



 「名探偵水瀬名雪に警察官相沢祐一。それにONE総合警備保障の折原浩平・・・・・・」

 ビューティー・ムーンさんが私達を見て呟いた。

 それにしてもビューティー・ムーンさんっていいにくい。

 そうだ。これからはムーさんって呼ぼう。

 その方が呼びやすいし、それに「ムーさん」ってなんか可愛いよね。

 そのムーさんが私達を見つめていた。

 仮面に開いている二つの穴の向こうの目が、私達を観察するように動く。

 それにしても変な声。

 男の人なのか女の人なのかもわからない。

 きっと変声機を使っているんだね。

 「ビューティー・ムーン、その手に持っている『ジュ・オー』を返せ!」

 折原さんが叫ぶ。

 「これ?」

 ムーさんが手に持っていた野球ボールほどの大きさの飴玉を掲げた。

 あれがこの博物館に安置されていた飴玉『ジュ・オー』。

 オレンジ色に輝くその外見は、まるで宝石のようにきれい。

 ものすごい高価な飴玉だってことは訊いたことあるけど、実際にどんなものなのかは私はよく知らない。

 そのよくわからない飴玉を、目の前のムーさんが今盗もうとしてたりする。

 祐一は警察だからムーさんを捕まえなければいけない。

 私はその祐一を手伝っている。

 折原さんは博物館に『ジュ・オー』の警備を任されたから、飴玉を取り返さなければいけない。

 だから私達は、ムーさんをここまで追い詰めてきた。

 「人のものを盗っちゃいけないんだよ〜」

 私は思ったことをムーさんにいってみた。

 そしたらムーさんが「ふふふ・・・」と笑った。

 今の笑い方、女の人かなぁ。

 あ、けど「美少女怪盗ビューティー・ムーン」って枕詞を訊いたことある。

 ってことは女の人だよね。



 一方通行の廊下。

 睨みあう三人と一人。

 ちょっと心臓がドキドキしてる。

 わっ!今一瞬視線があっちゃったよ。

 心臓のドキドキが一層強まる。

 けど、いま見たムーさんの目。

 どこか優しい目をしてた。

 ムーさんのうしろには窓があるけど、ここは3階。

 飛び降りるにはちょっと高すぎる。

 だからムーさんには逃げ場はない。

 あとは捕まえるだけなんだけど・・・・・・

 とっても慎重な祐一と折原さん。

 とくに祐一は、こういう場面でいつも犯人に逃げられてるから、すごく慎重になってる。

 この前も怪盗うぐぅさんに逃げられたばかりだし。

 だから祐一が慎重になる気持ちもよくわかる。

 私としても、祐一のためにムーさんを捕まえたい。

 なのにムーさんのあの余裕。

 とっても落ち着いて見える。

 焦っているのはむしろ祐一と折原さん。

 ムーさんはその姿をみて楽しんでるようにもみえる。

 祐一が呼吸を整える。

 そしてふっと息を吸ってムーさんに飛びかかろうとする。

 そのとき、ムーさんが手に持っていた『ジュ・オー』と窓の外の月とを重ねあわせた。

 ピカッ

 いきなり『ジュ・オー』が輝いた。

 「わっ!」

 「ぐはっ!」

 「うおっ!」

 真っ暗な中で、飴玉がいきなりものすごい光を発した。

 目の前が不思議な色で染まる。

 すごく眩しい。

 まるで懐中電灯で照らされてるみたい。

 目の前がゆらゆらと揺れるような感覚。

 目から後頭部に抜けるような妖しい光。

 溢れるばかりの光にもかかわらず、ムーさんの二つの目が見えるような気がする。

 そして、その二つの目がじっと私を見つめている―――。

 私は眩しいのと怖いのとで、思わず目を閉じた。

 「うわっ」

 「くそっ!」

 祐一と折原さんがひるむ気配が伝わってくる。

 きっと二人も眩しくて目を閉じてる。

 サッ!

 ムーさんが動く気配。

 バンッ!

 今の音はなんだろう・・・・・・。

 あっ!窓を開ける音?

 そう思った瞬間、正面から風が吹き込んでくる。

 なにかが飛ばされてゆくような気配。

 吹き荒れる風。

 やっぱり窓を開けたんだ。

 じゃあ、窓から外に飛び降りる気なの?

 だってここは3階だよ。

 そんなことしたら死んじゃうよ。

 私は思い切って目をあける。

 まだ目の前がチカチカしている。

 けど私は、何が起きたのかを確かめようと目を見開いた。

 目の前の空間を見つめる。

 だけど目の前には誰もいない。

 そこにいたはずのムーさんの姿は消えていた。

 開け放たれた窓。

 窓からは風が吹き込んでくる。

 そして、夜空に輝く大きな月―――

 「しまった!窓から飛び降りたのか?」

 祐一と折原さんが窓まで走ってゆく。

 そして窓から身を乗り出し下を見る。

 「いない・・・・・・」

 二人とも下を見つめたまま窓に張り付いていた。

 遅れて私も、窓まで駆け寄って下を見てみる。

 月明かりに照らされた青い街並み。

 動くものは猫の子一匹いない。

 「消えた・・・・・・のか?」

 祐一が呟いた。

 「そんなバカな。人間が消えるなんて・・・・・・」

 折原さんがうめくようにいう。

 そして沈黙。

 二人とも一生懸命に動くものを探している。

 私も同じように探す。

 けど何もいない。

 本当に消えたの?

 私も人が消えるなんてことはできないと思う。

 けど窓の下には誰もいない。

 夜の町がただ広がっているだけ。

 私と祐一と折原さんは、いつまでもその夜景を眺めているだけだった。



 (続く)




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