燃えあが〜れ、燃えあが〜れ、燃えあが〜れ



 その街は、常に甘い薫りで覆われていた。

 至る所から甘い蒸気を噴き出し、

 街の全貌を、深い薫りの中に隠しているのだ。

 この土地には砂糖以外、燃料として使用できるものが生産されなかったのだ。

 それがこの世界に、異常とまで言えるほどの砂糖蒸気機関の発達を促したのである。

 その甘い薫りに紛れて、数多くの怪人、怪盗が現れ、

 人々は夜の闇と伴にその甘い薫りすら、平和を脅かすものとして恐怖した。

 その薫りに覆われた街を我々はこう呼ぶ。



 スウィート・シティと。





探偵水瀬名雪
天使の歌声
sing a song
#1「開幕、そして静寂」



 「えーと、何番だっけ?」
 「ちょっとまって祐一。確か―――」
 「1段目の20から24だ、水瀬」
 「ありがとう、北川君」
 「北川、番号覚えてるのかよ……」
 「そりゃぁ、なんてったって、ユーリ・桜のコンサートだからな」
 「まったく、子どもみたいにはしゃぎやがって。舞にお礼の言葉をいっとけよ」
 「神様仏様川澄舞様、本当にありがとうございます。男北川潤、このご恩を一生涯忘れません」
 「……同じ台詞を今日だけで72回」
 「それだけ北川も舞に感謝してるってことだろ」
 祐一が笑いながら座席番号を確かめる。
 そして「ここから4席だ」といって、示した席の左から2番目にすっと腰を下ろした。
 私はその右隣に座る。
 祐一の左に舞さん、私の右側には北川君が座った。
 「すごいな、本当に目の前じゃないか」
 「うお〜、ユーリの歌がこんな間近で聴けるなんて!感動だぁ!」
 北川君が目をきらきらさせながら垂れ幕を見つめる。
 「北川、はしゃぐのはいいが、ユーリが歌ってるときは抑えろよ」
 「当たり前だ。歌は静かに聞くもんだ」
 北川君が、静かにするのは紳士として当然だと付け加える。
 けどその顔は、はしゃぎたくって仕方がないという感じだった。
 今私たちがいるのは大黒天ビール・コンサートホール。
 帝都京桜鉄道、飛田駅から歩いて5分ぐらいのところにあるホールで、地元の人は大黒・ホールって呼んでるところ。少し小さめだけど音響効果が抜群な場所だから、クラシックからポップスまでありとあらゆるコンサートが開かれてる場所なんだ。
 今日もこれからここで、今人気のアイドル、ユーリ・桜さんのコンサートがはじまるところ。
 それで私たちは、そのコンサートを聴きに来た―――ってのとはちょっと違うんだよね。
 私たちがここに来たのは―――

 「やあ、水瀬さん。おまけに祐一と北川」
 女の子を連れた男の人が私たちに声をかけてきた。
 男の人は、私たちの知り合い――ONE綜合警備保障の折原浩平さん。
 「なんだよ、浩平。俺たちはおまけかよ」
 「当たり前だ。俺は男には興味ない。今俺の目に見えているのは、水瀬さんと、おまえの隣にいる女の子だけだ」
 そういって折原さんが舞さんを見つめた。
 「そういえば浩平は知らないんだよな」
 祐一がにやっと笑う。
 「この子はなぁ、なんと警察官だぞ」
 「なにっ!警察官なのか!?」
 驚きの声をあげる折原さん。その折原さんの言葉に舞さんがコクコクと頷いた。
 「……帝都警察捜査課、川澄舞。よろしく」
 「ああ、よろしく。俺はONE綜合警備保障の折原浩平だ。浩平とでも呼んでくれ」
 「なら私は舞とでも呼んで」
 お互いに自己紹介をする二人。そこへもう一人の女の子が口をはさんだ。
 「それなら私はみさきちゃんでいいよ」
 「……え?」
 いきなり声をかけられて、きょとんとする舞さん。
 「呼び方だよ」
 「わかった……」
 舞さんが静かにうなずく。
 「なぁ、折原。そちらの女性は?」
 北川君が、みさきちゃんと名のる女の子のことを訊く。
 「うちの社員のみさき先輩だ」
 折原さんが、みなに紹介するようにいった。
 「先輩?ONEって折原が創始者で社長じゃなかったっけ?」
 「高校のときの先輩なんだよ。ね、浩平ちゃん」
 「先輩、浩平ちゃんはやめてくれ……」
 折原さんがうなるようにいう。
 その様子を見て、みんな少し笑った。
 「改めて自己紹介。私はONEの川名みさきだよ。みさきって呼んでね。別にみさきちゃんでもいいよ」
 みさきさん――私はそう呼ぶことにした――がにっこりと微笑む。
 「私は水瀬名雪です」
 「私は川澄舞」
 私と舞さんが自分の名前をみさきさんに伝える。
 そのとき、みさきさんの目がきらりと光った。
 「かわすみ米?お米?食べれる?」
 「違う……。剣の舞いの舞」
 「舞う?ってことは、字が違うのかな?そうか、そうだよね。きっと字で書けばわかるんだよね。舞うってどんな形だろう?それにしても、食べものじゃなかったんだね……」
 残念そうに呟くみさきさん。って、舞さんと米を間違えるなんて……。
 「みさきさん、俺が相沢祐一。それでこっちの触覚生えてるのが、きたが―――」
 「うるせぇ、相沢。余計なことをいうんじゃねぇ。えーっと、みさきさん。俺が大金持ちのナイスガイ、北川潤時期総理大臣候補だ」
 祐一と北川君が自己紹介をする。
 「触覚?触覚が生えてるの―――」
 みさきさんが興味津々の顔で北川君のおでこのあたりを眺めながらいった。
 あれ?みさきさんって―――
 「ねぇ、潤君。触覚に触っていい?」
 「あのですねぇ……」
 「あのね。私、目が見えないから、触らないとわからないんだよ」
 「え?目が?」
 ちょっとあっけにとられる私たち。
 その様子を見て折原さんがいった。
 「先輩は目が見えないけどな、ただそれだけだ。別に普通の人となんら変わらない。それに、恐ろしいことに、食べ物だけはきっちりと判別するんだ」
 「違うよ、浩平君。食べ物だけじゃないよ。他のものだってちゃんとわかるよ」
 「でも、食べ物の判別力は異常だぞ」
 「食べ物はね、匂いがするから他ものよりわかり易いんだよ」
 「けど先輩、香水とかは全く駄目じゃん」
 「だって、香水は食べれないから―――」
 そこまでいって、みさきさんははっと手を口にやった。
 なんか、みさきさんって可愛い。


 「おい、祐一―――」
 折原さんが、今までとはうって変わったひそひそ声で祐一に話しかけた。
 「―――奴は、怪盗貴族は本当に今日来るのか?」
 「来る―――かもしれないし、来ないかもしれない」
 祐一も、周りの人たちに聞こえないよう小さな声で返す。
 「なんか、いい加減だなぁ」
 「だがな、浩平。奴がユーリ・桜を狙ってるのは、俺の予想では確かなんだ」
 「それは聴いた。例のSマシーン展の会場にいた女の子でまだ襲われてないのは、あの日に会場でミニライブを開いたユーリーだけなんだろ?」
 「そうだ。それだけでも警護するには十分な理由だ」
 「他にあるのか?」
 「コンサート中はユーリの周囲にガードマンを付けることができない。おまけに不特定多数の出入りするこの会場の中、金さえ払えばユーリの目の前まで接近できる――」
 祐一が一番前の席をぐるっと見渡す。
 「――おまけに外に逃げるときも、中でちょっとした爆発でもおこせば、パニックになった観客に紛れて外に出ることができる」
 「ああ。だからうちに出入り口の封鎖を頼んだのか」
 「そうなんだが……。パニックになった群集を完全に内部に閉じ込めるのは無理だろうな」
 「は?それじゃぁ、逃げられちまうじゃないか?」
 「だから俺たちが中にいる。幸い舞のお陰でな、舞台のまん前の席が取れた。ここにいれば怪盗貴族が行動起こしても、すぐに舞台に駆け上ってユーリを保護することができるだろ」
 「なるほど。少しは考えてるのか」
 「馬鹿にすんなよ」
 「けど、ユーリはあともう一回、スウィート・パークで屋外ライブやるぞ。そのときするかもしれない」
 「そうだ。今までも何回かライブをやってるが、まだ襲われたことはない。それに、逃げることを考えたら屋外の方がやりやすい。しかし、そこのところの裏をついて今日来るかもしれない。だから俺は、来るかどうかは五分五分だと踏んでいる」
 「だったら来ない方がいいな。そうすれば、ユーリの歌声をゆっくり聴ける」
 「外の社員に恨まれるぞ。えっと、あの、だよもーんって子に」
 「確かに、長森や七瀬はうるさそうだ。でも外か中かは公平にくじで決めたんだ。恨みっこなしさ」
 折原さんは祐一とひとしきり話した後、飲み物を買ってくるといって、ホールの出入り口の方へ歩いていった。


 怪盗貴族さん―――
 その人が、今日ここでコンサートを行うユーリ・桜さんを狙ってるらしいの。
 怪盗貴族さんは8月の頭ごろから活動をはじめた怪盗さんで、女の子をさらっては、その子の水着姿の写真を撮って解放するっていう、怪盗というよりはほとんど変態でしかない、どう考えても許せない女の子の敵なんだ。
 それで祐一は、ずっとその怪盗貴族さんを追ってるんだけど、いろいろと調べていくうちに、被害者の女の子達に共通点があるのに気づいたんだ。
 それは、女の子達はみんな、7月に川中島で開かれた『Sマシーン展』の会場にいたってこと。
 そのことに気づいた祐一は、北川君に頼んで会場にいた女の子の名簿を手に入れてもらい、それに従って調査をはじめたの。
 けど、その名簿を手に入れるのが少し遅かった。
 被害者と名簿を該当させていったら、被害にあってない女の子は、その日会場でミニライブを行ったユーリ・桜さんだけだったんだ。
 だから私たちは、ユーリさんを怪盗貴族さんから守るためにこの会場にやって来てるの。
 帝都のエキスパートが終結した、警察、警備会社、探偵による共同戦線。
 これで女の敵も一撃でお縄だお〜。


 ブー
 ブザーがなった。
 立ち話をしていた北川君とみさきさんが席に着く。
 折原さんも、ジュースを片手に戻ってきた。
 会場中の誰もが、各々の席へと静かに腰を下ろす。
 『まもなく、ユーリ・桜、帝都横断ツアーコンサート、マザーズ・ララバイを開演致します』
 場内アナウンスがはじまる。
 『場内は禁煙です。開演中は左後方の扉以外開かないので注意してください。トイレは一階―――』
 会場内が静まりかえる。
 みんな、これからはじまるユーリさんのコンサートを楽しみに待ってるんだ。
 できれば、何事も起こらなければいいけれど。
 会場の電気がふっと落ちる。
 薄暗い闇の中、くすんだ朱色の幕が流れるようにするすると上がっていった。


 (続く)



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