大空から見下ろせば
 私も小さな一つの星
 螺旋模様の大地に瞬く
 世界を彩る小さな欠片




探偵水瀬名雪
天使の歌声
sing a song
#6「集約、そして遭遇」



 8月31日。午後5時50分。
 帝都公園にはたくさんの人がつめかけていた。
 みんな軽い興奮を覚えながら、中心部にある石造りのステージを見つめている。
 様々な電飾に彩られた舞台は、いつもの殺風景な様子とはうって変わって、賑やかな華やかさを醸し出していた。キラキラと光輝くその舞台は、まるで夜のパチンコ屋さんの看板みたい。
 ちんちんじゃらじゃら、ちんじゃらじゃら〜。
 63番台打ち止め――って、私はパチンコ屋さんに行ったことはないんだけど。
 祐一はあるのかなぁ?今度訊いてみよう。
 公園は熱気に包まれていた。
 たくさんの熱が会場中を渦巻いている。
 夏の終わりの忘れられた暑さ。
 これから始まるコンサートを楽しみにするファンの熱意。
 そして、今日、ここで何か事件が起きることを期待する、人々の邪な思い――。
 「すごい人だお」
 私は舞台の袖から会場を覗き見た。
 会場に用意された椅子は、指定席も自由席もすでにいっぱい。
 客席の通路や周囲にも立ち見の人があふれ、中には公園の樹木に登ってる人までいる。
 「ほんと、すげえなぁ――」
 私の隣で折原さんがいった。
 「――この前のコンサートでSマシーンが現われたから、今日も何かが起こるかもしれないって、普段の倍以上も人が集まったんだが――。よっぽど暇な奴が多いんだなぁ」
 「不謹慎……」
 浩平さんの隣で、舞さんが顔をしかめる。
 「そうだな。けど、こういうものに集まるのが人間だからな」
 折原さんはそういって、袖に顔を引っ込ませた。
 舞台袖には、私と舞さんと折原さんがいた。他にも、コンサートのスタッフの人たちなんかもいる。私たちはスタッフのみなさんの邪魔にならないように気を付けながら、舞台の構造をチェックしていた。
 出入り口や非常口の確認。進入経路や逃走経路に使えそうな空間の把握。客席や公園周辺の建物との位置関係などなど。
 もちろん、佐祐理さんをガードするための情報集めだよ。
 客席の警備には、ONEの人たちがあたっていた。今日は、予想以上に人がつめかけたから、他の警備会社の人たちに応援を頼んだみたい。舞台と客席の間には、知らない顔の人も何人かガードに立っていた。
 祐一と北川君は、こことは違う場所でSマシーンと一緒に待機しているはずだった。
 そうそう。今日の午前中、私と祐一と北川君は、井の頭分館でSマシーンを待ち伏せしてたんだけど、結局、Sマシーンは図書館には来なかったんだよ。他の図書館が襲われたってこともないみたい。
 たまたま今日は来なかったのか?
 私たちが待ち伏せしているのがばれちゃったのか?
 夜のコンサートのために午前は控えたのか?
 それとも、もう金庫は全て盗んでしまったのか?
 どんな理由があったのかはわからない。けど、どちらにしろ、それはもう済んでしまったこと。
 図書館のことについて考えたいことはたくさんあるけど、とりあえず今は、佐祐理さんのガードのことを考えなきゃね。
 祐一と北川君は、会場から少し離れた場所、公園の端にある、すこし木立の深い場所にいるはずだった。
 会場から離れた場所にいるのは、会場のまわりは人がたくさんいすぎて、Sマシーンを動かすには危険だからだよ。
 北川君は佐祐理さんのコンサートが聴けないと嘆いていたけど、「Sマシーンを上手く操作できるのは俺だけだからな、漢ならやるときはやるんだ」といって承知してくれた。
 うにゅ、今度何かお礼をしなくちゃね。
 「そろそろ始まる……」
 舞さんがそういったのと同時に会場の照明が消えた。
 人々のざわめきが少しおさまる。
 全員が舞台に注目した。
 私も、何がはじまるんだろうと思って、暗闇の舞台を見つめた。
 どんっ
 軽い爆発音とともに、舞台から花火が吹き上がった。
 幾本も立ちのぼる光の柱。
 「きれ〜」
 思わず声に出ちゃう。
 次の瞬間、ばっと花火が消え、代わりに舞台の照明が一気に灯った。
 闇夜に突然現われた光のステージ。
 その中心には、佐裕理さんが――いや、ユーリ・桜さんが、微笑を浮かべて立っていた。
 途端、湧き上る歓声。
 アップテンポの曲が流れだす。
 その軽快な調べにあわせて、佐祐理さんが踊りながら歌い始めた。



 『♪夢見るこ〜と、か〜なえるま〜で〜』
 私は折原さんと一緒に舞台袖から佐祐理さんの歌声を聴いていた。舞さんは、コンサートがはじまってからは、反対側の袖の方にいる。
 今日の歌は、この前のコンサートとはうって変わって、テンポの速いポップ調の曲が多かった。
 佐祐理さんも舞台の上を右へ左へと忙しそう。
 「やっぱ、ユーリの歌はいいな」
 舞台の佐祐理さんの姿を目で追いながら、折原さんが小声でいった。
 「そうだ、水瀬さん。今のうちに腹ごしらえしておかないか?」
 折原さんは舞台袖の奥にある机のもとへ行き、そこに置かれている自分の荷物からパンとジャムを取り出し机の上へ並べた。
 うにゅ。
 あのジャム。
 今日のお昼に、お母さんが警備の人たちに「差し入れ」っていって置いていったジャムだよ。
 もちろん色はオレンジ。
 「わ、私はお腹が空いてないから……」
 「そうなのか。俺は空腹だから、いただくぞ」
 折原さんがジャムの蓋をあける。
 だおっ。
 もしここで折原さんがジャムを食べてしまったら、かなりの戦力ダウンだよ。
 どうしよう。
 止めるべきなのかな?
 というか、止めるべきだよね。
 人として。
 けど普通、そのジャムは危険っていわれても、誰も信じないんだよね。
 笑って「なに冗談いってるの」っていいながらパンにかぶりついて、そのまま再起不能になった人たちを、私は何人も見てる。
 じゃあ、なんて注意すればいいんだお?
 そのジャムは腐ってる……、ダメだよ。
 お母さんが腐ったジャムを渡すわけないから、やっぱりこれも信じてもらえない。
 なら、強引に奪う!
 祐一のときは、そうやって奪ったあとに強引に奪い返されて、そのまま沈黙したんだお〜。  にゅ〜。
 なんとか手を考えないと。
 あ!折原さんがスプーンをジャムの瓶の中に―――!
 じりりんっ!
 机の上に置かれていたものが、小さく一度鳴った。
 「ん?誰だ?」
 折原さんがジャムを置き、音の主に目をやる。
 それは折原さんが持ってきた、辞書ぐらいの大きさの携帯用電話だった。
 誰だかしらないけど、ナイスタイミングだおっ!
 「もしもし。折原だ」
 折原さんが受話器をとり、小声で話しかけた。
 あの電話、どこでも使えるのは便利なんだけど、少し大きくて重いんだよね。もう少しちっちゃくて軽ければ、私も買うのになぁ。
 折原さんは、電話の相手と二言三言交わしたあと、受話器を電話機に戻した。
 「どうしたの、折原さん」
 「不信なトラックが見つかったんだ」
 「どこに?」
 「公園の噴水のある方の、林の深い辺り」
 噴水のある方角っていうと、祐一たちの待機してるところとは、少しずれるかな。
 「どうするの?」
 「一応、長森と澪に調査に行くよういった。追って連絡がはいるはずだが――」
 じりりんっ!
 またベルが鳴った。折原さんが「ほらなっ」といって受話器を取る。
 「もしもし、折原だ。ん?先輩?」
 折原さんはしばらく相手の話を聴いたあと、受話器を置いてうーんとうなった。
 「トラックに何か問題があったの?」
 「いや、長森じゃなくて、みさき先輩からだったんだが――」
 みさき先輩。
 この前のコンサートのときに一緒になった人だよね。
 「――先輩、何かが変だっていうんだ」
 「変?何が?」
 「それがよくわからない。音がおかしいっていうんだが、変な音がするとかじゃないらしい」
 「どういうこと?」
 私は耳を澄ませてみる。
 「たぶん、先輩の気のせいだと思う。けど、みさき先輩。ああ見えて、結構感が鋭いからな」
 折原さんが腕組をする。
 そのとき、3度目のベル音が小さく「じりりんっ!」と鳴った。
 折原さんがすかさず受話器を取る。
 「もしもし、折原だ――」
 受話器を耳にあてたまま、相手の声を聴く折原さん。その折原さんの顔色が、真剣なものへと変わった。
 折原さんは、少し乱暴に受話器を置き、私の方へ振り向く。そして、短く「来たっ!」といった。
 「例のトラックの積み荷部分から、Sマシーンが現われたって――」
 言うやいなや、舞台袖から顔を出す折原さん。
 「ちょっと、君っ!」
 スタッフの人たちが折原さんを引き戻した。
 「本番中だぞ!何やってんのっ!」
 「そんなこといってる場合じゃないっ!」
 折原さんがスタッフの人たちと口論をはじめる。
 そのとき――。
 ずしん。
 「!!」
 舞台に軽い振動が響いた。
 折原さんもスタッフの人たちも一瞬動きが止まる。
 「え!?」
 「い、今の何だ?」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔して立ち尽くすスタッフさん。
 「来たのかっ!」
 折原さんが再び顔を出す。
 ずしん。
 振動。
 舞台裏に緊張が走る。
 けど、舞台は――。
 舞台の上の佐祐理さんはいまだ歌い続けている。
 加熱したコンサートは止まらない。
 ずしん。
 「どこだっ!」
 折原さんが客席の向こうに目を凝らす。
 呆然とするスタッフの人たち。
 私も何をしていいのかわからず、ただ呆然とそこに立ち尽くしていた。
 ずしん。
 姿は見えない。
 けれど何かが近づいてくる。
 定期的に伝わってくる振動が、その存在を不気味に主張していた。


 (続く)


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