旅の終着駅は
 静かなる終わり
 はるかなる宇宙で
 全てを見守る




探偵水瀬名雪
天使の歌声
sing a song
#9「沈黙、そして終焉」



 時が止まった――。
 私は始めそう思った。
 けど、すぐにそれは違うと気付いた。
 私は私を連続した時間の中で認識しているし、何よりも目の前にいる祐一やONEの人たちが普通に動いていたからだ。
 けれど私は何か違和感を感じていた。
 体が宙に放り投げられたような、そんな違和感。
 心細くなった私は、祐一の名前を呼んだ。
 ――祐一。
 私はそういったはずだった。
 けど、私の言葉は、私の耳に届かなかった。
 もう一度いってみる。
 ――祐一。
 やっぱり聞こえない。
 そのときになって、私はやっと気づいた。
 今この空間に、音というものが全くないことに。


 無音だった。
 何の音もしなかった。
 私の声も。
 祐一の声も。
 私の足音も。
 みんなの息遣いも。
 風の音も。
 木々のざわめきも。
 街の喧騒も。
 夜空のささやきも。
 音という音全てがここにはなかった。
 沈黙だけが、この空間を支配していた。


 ――祐一。
 私は祐一の袖をつかんだ。
 祐一が私の顔を見て口を動かす。だけど、やっぱり声は聞こえてこなかった。
 ――音がないよ。
 私は必死になって口を動かす。
 そのとき、祐一が私の両肩に手を置いた。そして私の目をじっと見て、何かを私に伝えようと口を動かす。
 声は聞こえなかったけど、何といったのか私にはわかった。
 ――落ち着け。
 祐一の言葉に、私はコクリと頷いた。


 私が落ち着いたのを感じ取ってから、祐一がある方向を指差した。
 それは、さっきみさき先輩が音がないといっていた方向であり、スウィート・シティ警察署がある方向でもあった。
 そこには今、舞さんと佐祐理さんがいるはず。
 祐一は指差した方へ体を向け、地面を蹴って走り出す。それを見た私も、無言でそちらへと走り出した。


 音なき広場を走った先――スウィート・シティ警察署。
 そこにもやはり、音というものが存在しなかった。
 完全なる静寂。
 普段あるべき音がない。その代わりに、そこには、普段あるべきではない物が存在していた。
 白いSマシーン――。
 ここ4、5日の間、図書館を襲いつづけていたあのSマシーンが、警察署の前に立ち、その腕で壁を破壊していたのだ。
 ボロボロと崩れ落ちる石壁。
 だけどやっぱり、崩れる音は私の耳には届いてこなかった。


 ――どういうこと?
 私の中に、様々な疑問が浮かび上がる。
 どうして――?
 怪盗貴族さんは捕まえたのに、どうしてここにSマシーンがいるの?
 Sマシーンは怪盗貴族さんじゃなかったの?
 それに、この辺りじゃSマシーンは使えないんじゃなかったの?
 どうして図書館じゃなくて、警察署を襲っているの?
 音は――。
 音はどうしたの?
 何で、音がしないの?
 石壁が崩れる音はどこへいったの?
 舞さんと佐祐理さんは――。
 警察署の中にいるの?
 あのSマシーンに見つかったりしなかったの?
 それとも、どこか違うところへ逃げたの?
 二人は無事なの?
 私はSマシーンから少し距離を置いた場所で足を止める。
 前方を走っていた祐一は、Sマシーンに向かって一直線に駆けていった。
 走りながら拳銃をとりだす。
 その祐一の前に、人が一人飛び出してきた。
 祐一が立ち止まる。
 祐一とSマシーンの間に女の子が立ちはだかった。
 通せんぼをするように立つその女の子は、佐祐理さんと一緒に行動しているはずの舞さんだった。


 祐一が手を横にはらった。
 たぶん、「そこをどけ、舞っ!」っていったんだと思う。
 けど舞さんは動かなかった。
 舞さんは、私と祐一の顔をちらりと見た後、おもむろに口を開いた。
 「祐一、名雪――」
 声が――。
 舞さんの声が聞こえた。
 それに気付いた私は、耳に意識を集中させ他の音を拾ってみようとする。けど音は他には何も聞こえてこなかった。
 祐一が何かをいった。
 けど祐一の声は、私の耳には聞こえてこない。
 「佐祐理、二人の声を――」
 舞さんが私たちを見つめたままいった。
 「佐祐理さん!?」
 祐一が怪訝な声をあげる。
 その声が、今度は私にも聞こえてきた。
 「あ、祐一、声が――」
 そこまでいって、私は自分の声が聞こえることに気付いた。
 祐一にも聞こえたらしい。祐一が驚きの表情を浮かべながら私の方を振りかえった。
 「いったいどうなって――」
 ぽかんと口をあける祐一。
 そんな祐一に向かって、舞さんがゆっくりといった。
 「これが佐祐理の能力――」
 舞さんの声は、静寂の中にしんっと響き渡った。


 ――能力。
 最近、よく耳にする言葉。
 「これがボクの能力だよ」
 そういってあゆちゃんは瞬間的に移動した。
 「祐一さん、私が『みる』能力を持っているのは知ってますよね」
 栞ちゃんは過去を『みる』力を持っていた。
 「私はね、栞とは逆に『みせる』能力を持ってるのよ」
 香里はその力で怪盗となった。
 「真琴には、ちょっとした能力があるんです」
 真琴ちゃんは炎を起こすことができた。
 能力。
 人とは違う特殊な力。
 ここ数ヶ月の間に、そんな力を持つ人たちに立て続けに出会った。
 偶然?
 それにしては、出会い過ぎている――。


 「この静寂は――」
 舞さんが静かに語りだした。
 「これは佐祐理の歌の力。佐祐理は『うたう』ことによって、音を操ることができる。音に音をぶつければ、音を消すこともできる。それこそが、佐祐理に秘められた力――」
 「音を消しただとっ!?な……、なんの為に?」
 「祐一をここへ近づけさせないため。つまり、私と佐祐理の邪魔をさせないため」
 舞さんはそう答えたあと、背後のSマシーンを振りかえった。
 「邪魔をさせない?あのSマシーンは舞たちのものなのか?どうして警察署を襲ったりする?どうして――」
 そこで祐一は言葉を一度切り、警察署の壁を崩し続けているSマシーンを凝視した。
 「なぜだ?なぜあのSマシーンは動いている!?北川の電波のせいで、ここいら一帯じゃ、Sマシーンは使えないはず――」
 「あははー、それはですねえ――」
 いきなり頭の中に声が響いた。
 その声は聞き覚えのある声――佐祐理さんの声であった。
 「佐祐理のSマシーン『イシュタル』が、電波受信型のSマシーンじゃないからです。『イシュタル』は、従来の遠隔操作ロボットとしてではなく、有人操縦ロボットとして開発された、どちらかというと強化装甲に近いタイプのSマシーンなんです」
 白いSマシーンがこちらを向いた。
 「つまりですね、佐祐理はこの『イシュタル』の中に入って直接に操縦しているのです。ですから、外部からの電波には全く影響されません」
 Sマシーンの手には、例の黒い金庫が抱えられていた。
 「馬鹿な……」
 祐一が苦しそうに言葉を吐き出した。
 「今まで図書館を襲っていたのは、怪盗貴族じゃなくて、佐祐理さんだったっていうのかっ!」
 愕然とする祐一。
 「そうなんです。佐祐理たちが、あの7年前の事件を調べるために、図書館と警察署に封印された記録を集めていたのです」
 白いSマシーンが抱えていた金庫をこちらに向けた。
 「7年前の事件!?」
 「そうです。7年前の事件です。あれは終わりではなかったんです。あの事件のあとも、私たちは全員お母さんの手の上から出てはいなかったんですよ」
 「お母さん!?」
 その言葉に、私と祐一が同時に反応した。
 ――お母さん。
 最近の事件の裏に必ず出てくる謎の人。
 佐祐理さんは今、その人の手の上に私たち全員がいるって――。
 私たち全員!?
 全員って、普通二人のときは使わないよね。
 ということは、私たちも含まれてるの?
 「祐一、名雪。佐祐理の歌を懐かしく思う?」
 舞さんが静かな口調で語り出した。
 「え?歌?ああ。どこか懐かしく思うが……」
 「懐かしさとともに、怖れを感じる?」
 「う……。その通りだ。どうしてそれを……」
 「それは、私たちがお母さんに優しさと畏怖を感じているから」
 「お母さん?それが佐祐理さんの歌と何か関係あるのか?」
 「佐祐理の歌は、いつもお母さんが歌っていた歌」
 「お母さんの――歌」
 「佐祐理に歌を与えたのはお母さん。佐祐理に歌う場所を与えたのもお母さん。お母さんは自分の歌を媒介に、私たちを引き合せた――」
 「どういうこどた?」
 「全てはお母さんの計画。歌はみんなの記憶を呼び起こし、みんなをここへ呼び寄せるための手段。今回現われた怪盗貴族という人間も、お母さんが用意した、佐祐理と祐一を引き合わせるための駒。怪盗貴族が佐祐理を襲えば、必ず祐一と名雪がやってくる。佐祐理の歌――過去に聞いたお母さんの子守唄は、二人の記憶を揺さぶり、二人の能力を目覚めさせる。そんなふうに、私たちはみんなお母さんの手の上で踊ろされている――」
 「なっ!それじゃあ、俺が佐祐理さんと出会ったのは――」
 「作られた偶然。つまり、必然――」
 舞さんの言葉は、私と祐一に衝撃を与えた。
 私は、知らず知らずのうちに拳を握り締める。
 「お母さんはそうやって、祐一や名雪と私たち全員を引き合せ、二人の記憶と心を刺激しようとしている。現に、祐一と名雪はあのときいたみんなと7年ぶりに顔を会わした」
 「みんな?舞、おまえは俺のことを知っていたのか?7年前のことを知っているのか?」
 「私も全てを覚えているわけではない。私の記憶もところどころが抜け落ちている。けど、あの場所に誰がいたのかは忘れていない。あの場所にいた10人の顔を、私は今でも覚えている――」
 舞さんがまぶしそうに目を細める。
 「久しぶり、祐一。名雪」
 わずかに微笑む舞さんの顔が、どこかとても懐かしいものに見えた。


 「そんな馬鹿なことがあるか……」
 祐一がうめくようにいった。
 「俺たちが、誰かの手の上で踊らされてるだろ?」
 祐一の肩は震えていた。
 私も舞さんの言葉に困惑していた。
 舞さんはいった。「久しぶり、祐一、名雪」って。
 ということは、私も舞さんと一緒だったということになる。
 つまり、私もそのお母さんと何か関係があるということだよね。
 けど、私にはちゃんとお母さんがいる。
 私はずっとお母さんと一緒だった。
 ならば、舞さんがいうお母さんは、私のお母さん!?
 ううん、違う。
 もし私のお母さんがそうならば、舞さんが警察署に来たときに、何らかの反応があったはず。
 ん?
 そういえば――。

 「舞さん」
 「何、名雪」
 「舞さんが警察官になったのも、その、お母さんにいわれたから?」
 さっき舞さんは、佐祐理さんに歌う場所を与えたのはお母さんだといった。そしてそれは、どうやらお母さんの画策らしいともいった。ということは、舞さんが警察官になったのも、お母さんの計画なんじゃ――。
 「私が警察官になったのは、お母さんの指示じゃない」
 舞さんが少し口調を強めていった。
 「理由はむしろその逆、私はお母さんを探るために警察官になった――」
 舞さんが一瞬背後を見る。そこには、スウィート・シティ警察署が佇んでいた。
 「私と佐祐理は、自分たちの運命がお母さんに操作されていることに気付いた。そしてそのことに気付いたとき、私たちはお母さんから逃れようと、そう決意した」
 舞さんが、今度は白いSマシーン――あれには佐祐理さんが乗っているらしい――を見つめた。
 「私と佐祐理は、何も気付いていないフリをしながら、お母さんの筋書き通りに行動し、その裏でお母さんの秘密をいろいろと探った。そして私たちは、四季研とそこで起きた事件へとたどり着いた」
 「7年前の事件……」
 「お母さんはあそこで何かを研究していた。私たちはみんな、あの場所にいた。そしてあの事件の日、全てが消えた――」
 ――消えた。
 記憶が消えた。
 記録が消えた。
 ――記憶も記録もない。
 これは香里の言葉。
 けどこれは、最近私が会ったみんなに共通していること。
 私、祐一、香里、栞ちゃん、真琴ちゃん、美汐ちゃん……。
 消える。
 そういえば、あの時。
 香里と栞ちゃんの上に電灯が倒れようとしたとき。
 鉄の柱は、二人の上に倒れこむ前に消えた。
 それに、北川君ちでの火事のときも、部屋のドアが消えたと祐一がいっていた。
 消える。
 これも、最近私のまわりでよく起きること――。

 「お母さんは、7年前に何かをした。そして最近、またその何かを始めようとしている。そしてそのために、再び私たちに干渉し始めている――」
 「何か?何かって何だ?」
 「わからない。わからないけど、それはきっと良くないこと――。だから私たちは、それを阻止するために、お母さんの秘密を探ろうと、各地に封印された記録を回収にまわった」
 「それが、Sマシーンで黒い金庫を盗んだわけか――」
 「そう。この街の人間、とりわけ、四季研究所と関係が深かった人間は、お母さんのことを隠そうとする。だから、少し乱暴な手段を取るしかなかった――」
 舞さんがため息をついた。
 「私たちはお母さんの姿を追っている最中に、今回の怪盗貴族の事を知った。お母さんが何のために怪盗を用意したのか、そのために怪盗貴族がどんな役を演じさせられるのか。どうやって現われ、どうやって犯行を計画し、そして、どうやって祐一に捕まるのかを――」
 「俺が怪盗貴族を捕まえることまでわかっていたっていうのか!?」
 「そう。だから私と佐祐理は、怪盗貴族にお母さんと祐一たちの目が向いているうちに、金庫を回収してまう計画を立てた。すべてがどうなるかを知っているから、誰にも気付かれずに計画は完成するはずだった。けど、私たちは祐一と名雪と出会ってしまった。出会ってはいけなかったのに――」
 舞さんが複雑な表情で私と祐一を見つめた。


 「祐一、名雪。私たちはもう行く――」
 舞さんがSマシーンの傍らへと歩みより、足の部分にある取っ手をつかんだ。
 「行くってどこへだ?」
 祐一が叫ぶ。
 「それは言えない」
 舞さんが首を横へ振った。
 「待て、舞!」
 「何?祐一」
 「警察はどうするんだ!」
 祐一の言葉を聞いて、舞さんが一瞬目を伏せた。
 「ごめん、祐一……」
 小さく呟く舞さん。
 「お母さんとの決着がついたら、きっと帰って来るから……」
 「舞、一緒にやろうっ!」
 祐一が大声でいった。
 「お母さんと戦うんだろ、それなら俺も協力する!おまえの話じゃ、俺も名雪もお母さんと関係してるんだろ。それなら、もう人事じゃない。俺たち自身の話でもあるんだ。だから、舞。一緒にお母さんと戦おうぜっ!」
 祐一が舞さんの方へ手を差し伸べる。
 その手を舞さんが悲しそうな目で見つめた。  「ありがとう、祐一。けど、それはできない……」
 「どうしてだっ!」
 「お母さんは、祐一に何かをさせようとしている。だから、なるべく祐一をお母さんと接触させたくないの」
 「俺!?俺が何だっていうんだ!?」
 「佐祐理の出した一番新しい歌。あれもお母さんが用意した歌。その歌詞を見てみれば、私の言ったことが少しはわかると思う」
 歌?
 私はコンサートを思い出してみる。
 そういえばこの前のコンサートのとき、北川君が「新曲だ」といった歌があったっけ。
 確か、「あなたを思う 祈りは空へ」って始まる――。
 「それに、祐一は……」
 舞さんの声が、少し悲しみを帯びた。
 「佐祐理の大切な人を奪ったから――」
 「えっ!?」
 祐一が驚きの声をあげた。
 って、ちょっと待って。
 祐一が佐祐理さんの大切な人を奪った?
 そんなこと、そんなことあるわけないよっ!
 祐一が誰かを傷つけるなんてっ!
 そんなの――。
 「嘘だよっ!」
 私が叫んだのと同時に、いきなり全ての音が戻った。
 衝撃が頭を突き抜け、耳の奥がキンキンする。
 呼吸が乱れ、眩暈がする。
 突然の環境の変化に前後がわからなくなった私は、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
 深呼吸を繰り返しながら、冷静になろうとする。荒くなった呼吸を整えて、落ち着きを取り戻したそのときには、Sマシーンと舞さんの姿はもうどこにも見当たらなかった。

 (続く)

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