この国では人間が凄い勢いで増えていた。
 子を産み、孫を産み、ひ孫を産み、何かに取り憑かれたかのように人々は増え続けた。
 やがて住まう場所は狭くなり、人々は新たな土地を求めて西へ東へと奔走した。
 今まで人と神と魔とで住み分けていた境界を超え、外へ外へと広がって行った。
 森を切り裂いた。
 山を切り崩した。
 闇を切り祓った。
 そうやって人々は、住まう場所を手に入れた。
 しかし結果として、怪力乱心が世に染み出すこととなった。
 巷に溢れ出す魑魅魍魎。
 神も魔も人もいる混沌の世界。
 人々は闇を怖れ、光に畏怖した。
 そして光と闇と闘った。
 人口の灯りを乱立させ、夜の闇を追い払った。
 呪術と科学とを結合させ、神をも超える力に指をかけた。
 人々は少づつ、自分達の世界から神や魔を追い出していった。
 そうやって、じわりじわりと自分達の住むべき世界を構築していった。
 いつしかこの国のほとんどは、人のモノとなっていた。



 冥治一七年。
 時の執行、折原浩平は北の大地に目を向けた。
 もうこの国で人が住んでいないのは、北陸の地、武蔵だけであった。
 折原はこの国全てを人の手で治めるべく、北の大地に新たなる都護府を設置する計画を実行した。
 帝都の聖務次官、倉田克巳を北陸都護に任命し、国の政官、武官、術官を都護府開設の為に派遣した。
 人々も、国のそこここから集まってきた。
 新たなる開墾地を求める者。
 新たな事業を起こそうとする者。
 今の暮らしに愛想が尽きた者。
 満足に食う事ができず、すきっ腹を抱えた者。
 新天地で勇躍し、故郷に錦を飾ろうとする者
 集まる人々をカモにしようとする者。
 兎に角、ありとあらゆる人々がそれぞれの胸に希望をはせ、みな一路北へと向かった。
 実際人々は良く働いた。
 五年もすると町ができ、十年もすると都ができた。
 都護府はいつも間にか、この国で一番雑多な都へと成長した。
 いつしかその都護府は、凍京と呼ばれるようになった。



 ――凍京都護府
 生きるモノが全て押し込まれた都。
 神と魔の眠る、最後の都。
 闇に囲まれた、暗き危うい都。
 この国の一番奥に位置する、生と死の混在する都。
 どこまでも、深く深く続いて行く底無しの都――。

 この都には未だ闇がある。
 闇からは闇が這い出てくる。
 闇は人々を脅かす。
 闇は人々の心を侵食する。

 真の闇は眠っているはずだった
 ただ、安らかに眠っているはずだった。
 そう、人々が揺り起こすまでは――。






序章 「凍京都護府」




 雨――。
 雨が降っている――。

 雨は全てに降り注ぐ。
 あらゆるものに平等。

 大地に、草木に。
 人に、闇に。

 細長い灰色の雨が男の体を塗らす。
 鋭い冷気が男の体に突き刺さる。

 男は大地を見つめている。
 濡れた大地を見つめている。

 冷たい雨と、暖かい血に濡れた大地。
 冷たくなった母親と、まだ暖かい少女が横たわる大地。

「憎いか――」

 男が言葉を発した。
 男の言葉に少女の瞳が頷く。

「生きたいか――」

 男の言葉に少女の瞳が答える。
 体を半分に斬られた少女の瞳が。

「そうか――」

 男は天を見あげる。
 黒い闇に覆われた空を。

「もう――人には戻れないぞ。それでも生きたいのか?」

 少女は全く動かない。
 その瞳はじっと男を見つめたまま動かない。

「そうか――」

 男は自分の手首を斬る。
 手首から血が流れる。
 紫色の、生ぬるい血が流れ落ちる。
 暖かくもなく、冷たくもない血が。

 少女の体が濡れて行く。
 冷たい雨と、生ぬるい血によって。

「これでお前は俺と同じだ」

 血が絡み合う。
 新しき存在が生まれる。

「人になるか、闇に還るかはお前しだい――」

 男の姿が影に染まって行く。
 周りの闇に溶け込んでいく。

「光に生きて、闇に溶けるが良い――」

 雨が降っている――。
 冷たい雨が降っている――。

 そこにはもう誰もいない。
 冷たくなった母親の骸を除いては――。




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