第六章 「月宮あゆ」



 その日月宮あゆは、午前中から上埜にある虎王隊壬組の詰所の多目的室で、同僚の青梅真治とチンチロリンをしていた。
 部屋には他の隊員や壬組長の大久保たちの姿も見えた。
 本日の壬組の勤務は午後五時からである。
 だから本来ならば、午前中から詰所にいる必要はない。
 しかし、近頃頻繁に起こっている斬鬼による辻斬り――世間にはまだ公表はしてないが、虎王隊の中ではすでに知られていた――があった場合にすぐに出動できるよう、隊員は非番のときもできるだけ詰め所にいるよういわれているのだ。
 だから、あゆは朝早くから壬組みの詰所に来ていたし、それは他の隊員も同じであった。組長の大久保などは泊まり込みである。
「やったー。またボクの勝ち!」
 あゆがサイコロを握りしめながら言った。
「ちっ、姿形は小学生の癖に、運は強いんでやんの」
 青梅が賭金の銅貨をあゆの方へと弾く。
「うぐぅ! ボク小学生じゃないよ! それに運が強いのと外見は関係ないよ!」
「ああ、そうかい。ちっ、給料日前だってのによ、すっからかんになっちまったぜ」
 そう言って青梅は、空の財布を懐へしう。
「ふふふー、ボクはお金が溜まったもんねー。せっかくだから、鯛焼きでも買いに行こうかな」
 あゆが膨らんだ財布を胸に抱き、にんまりと笑う。
「ま〜た鯛焼きか。なんで女ってのは、こう、甘いもんが好きなんだろね」
「うぐぅ……、なんでだろう?」
 椅子をかたかたと揺らしながら考え始めるあゆ。
「おいおい。真剣に考えんなよ」
「うぐぅ! ネタを振ったのは青梅君だよ!」
「いや、まさかマジに考えるとは思わなかったんだ」
「うぐぅ!」
 あゆがぽかっと青梅を殴る。
 それを見て、部屋で新聞を読んでいた組長の大久保が言った。
「おい、青梅。あまり小学生を苛めんなよ!」
「はっ! 組長!」
 青梅がわざとらしく敬礼する。
 その横であゆがうぐぅと唸った。

「ちょっと、おじゃまするぞ」
 男が一人、多目的室にやって来た。
「えっと、月宮はいるか?」
 男は入り口から室内を見回す。
 その男にあゆは見覚えがなかった。
「ねぇ、青梅君……」
 あゆが小声で青梅に訊く。
「あの人だれ?」
「知らねぇ。あゆの知り合いじゃないのか?」
「知らないから訊いてるんだよ」
 そのとき、誰かがあゆと青梅の頭を小突いた。
「うぐぅ!」
「いたっ! 誰だ!」
 二人が同時に振り返る。そこには大久保が立っていた。
「組長……、なんで!」
「バカッ!」
 大久保が小声であゆと青梅に怒鳴りつける。
「あの人は、うちの副隊長の北川さんだっ!」
 そう言って、もう一発づつ二人の頭に拳を落とした。
「副隊長、あの人が……」
 頭をさすりながら、あゆが入り口に立っている男――北川潤を見つめた。
「おい、大久保。月宮はまだ来てないのか?」
 北川が大久保に問う。
 大久保は返事をする代わりにあゆの背中を叩いた。
「あ、はい! ボクが月宮であります!」
 あゆが敬礼をしながら立ち上がる。
「なんだ、いるじゃないか」
「すみません。副隊長とはわからなかったんで――うぐぅ!」
 あゆが全部を言い切る前に、大久保と青梅があゆの頭を小突いた。
 その様子を見て、どうやらあゆは自分のことを知らなかったらしいと北川は悟った。
 ちらっと室内を見回してみる。すると、北川のことをもの珍しそうに見つめている隊員が何人かいた。
 ――もう少し、格組の詰所に顔を出した方がいいか。
 そんなことを考えてみる。
 頭を小突かれたあゆは、しばらく両手で頭をさすったあと、再び北川に向かって敬礼した。
「うぐぅ……。し、失礼しました。それで、自分に何か用でありますか?」
「あー、敬礼はいい。それにその変なしゃべり方も」
 あゆが少し体勢を楽にする。
「で、月宮。今日は暇か?」
「えっと、今日は午後五時から勤務があるんですけど……」
「五時か……。おーい、大久保」
 北川が大久保に呼びかける。
「ちょっと月宮を借りていくが、いいか? ちゃんと五時までには返すから」
「そんなもんでよければ、いくらでも貸しますよ」
 大久保が笑いながら言う。
「というわけだ、月宮。これからちょっと俺に付き合え」
「どこか行くんですか?」
「佐倉田門(さくらだもん)だ」
「本部ですか!?」
「そうだ。交通費は出してやる。ついでに昼飯もおごってやるぞ」
「うぐぅ……。ボク何か悪い事したんですか?」
「はぁ?」
「だって、悪い事すると本部に呼ばれて、茹で煮られて生皮剥がれるって……」
「誰だ! そんなこといったやつ!」
 あゆは顔を伏せながら、指だけを大久保の方へ向けた。
「お〜お〜く〜ぼ〜」
 北川が大久保をじろっと睨む。
「えっ! ちょっと待て、あゆ! いつ私がそんなことをいった!」
 大久保が慌てながらあゆに問う。
「うぐぅ。新隊員歓迎会のとき。三次会でいってました」
「あっ………」
 大久保が押し黙る。思い当たる節があったのだ。
「おまえなぁ……。相変わらず酒の席で新人に嘘吹き込んでるのか」
 北川が半ば呆れながら言う。
「う……、すみません」
「まぁ、今はそのことはいいや。それで、月宮」
 北川があゆに優しく声をかける。
「別に、叱るとかそんなんじゃない。ここじゃちょっといえないが……。どっちかというと、名誉なことだぞ」
「名誉……ですか?」
「そうだ。だから本部まで来てくれ」
「わかりました。壬組隊員月宮あゆ。ただ今より本部に向かうであります」
「だから、そのしゃべり方をやめろって」
 そう言って北川はため息をついた。
 あゆはサイコロと茶碗を青梅に渡しながら、名誉とは何かを考えてみた。
「あゆ、たぶんあれだ。立派に働く小学生に表彰状が出たんだ」
 青梅があゆを見あげながら言う。
「ボク、小学生じゃないもん」
 あゆは他の人に見えないよう青梅に一撃加えてから、戸口で待つ北川のもとへと歩いていった。
 名誉が何かは結局思いつかなかった。



「着いたぞ」
 江渡の森の西に広がる佐倉田門地区。そこに都護府守護軍虎王隊本部はあった。
 その本部にある虎王隊隊長室の前に北川とあゆは立っている。
 北川がノックしてから隊長室の扉を開ける。
「隊長、月宮を連れてきました」
 室内に向かってそう言ったあと、あゆに中に入るよう促した。
「失礼します」
 あゆが頭を下げながら隊長室の扉をくぐる。
 隊長室はあまり広くなかった。そこらに積み上げられている書類と武具のせいで、寧ろ狭く見える。
 その部屋の奥、紙の山に埋れている机に、一人の女性が座っていた。
 虎王隊隊長、川澄舞である。
 舞はあゆが入ってきたのに気付くと、書類を書いていた手を止め、あゆの方へと顔を向けた。
「壬組巡査、月宮あゆです」
 あゆが自分の所属と名を伝える。
「よく来てくれた。座ってといいたいけど、生憎ここには座れそうなところがない……」
 舞が無造作に床に置かれている鎧や兜を見ながら言った。
 北川は隊長室の扉を閉めたあと、舞の横へと立った。
「月宮――」
「は、はい」
 北川に名を呼ばれ、あゆは慌てて敬礼をする。
「敬礼はいい。それで、今日おまえを呼んだわけだが――」
「潤。その説明は、私がする」
 そう言って舞があゆの瞳を見つめる。
 あゆは思わず生唾を飲み込んだ。
「今さら訊く事でもないけど、例の斬鬼については知ってる?」
「知ってます」
 それを訊いて、舞がこくりと頷く。
「今回、対斬鬼用の特捜組を設けることとなった。それで、その特捜組の組長をあゆに任せようと思う……」
「え?」
 あゆは一瞬、舞が何を言っているのかわからなかった。
 ちょっと考えて、やっと舞の言葉の重大さに気がつく。
「ボ、ボクが、その特捜組の組長ですか?」
「そう。やってくれる?」
「でもボク女ですよ。それなのに、組長なんて……」
「私も女だけど、隊長をやってる」
 舞が少し笑いながら言った。
「うぐぅ……。だって、ボク。入隊してからまだ四ヶ月ぐらいだし……」
「どれくらい隊にいるかなんて関係ない。問題なのは、実力」
「実力なら、組長たちの方が……」
「あのなぁ、月宮――」
 北川が横から口を挟んだ。
「うちは特捜組を設けるときは、その組織の中に十組長は入れないんだ。組長にはそれぞれの組を統括するっていう大事な役目があるからな。だから、特捜組の組長は、隊員の中から選ばれるんだ。それで今回、十組長と隊長による選考の結果、月宮、おまえが選ばれたたってわけさ」
 北川の言葉に舞が頷いた。
「……ボクなんかでいいんですか?」
 あゆが恐る恐る訊く。
「ダメだったら、選んだりしない」
 舞は短くそう言った。
 暫くの沈黙。
 やがてあゆは顔をあげ、胸を張って力強く言った。
「ボク、その話を受けます!」
 舞を見つめるあゆの目は、真剣そのものであった。
 その瞳の奥には、何か強い意思が潜んでいる。
 その目を見て、北川がほうっと声を漏らした。
 あゆの目から決意を感じ取った舞は、一度軽く頷いたあと、椅子から立ち上がってあゆに言った。
「月宮あゆ。あなたを対斬鬼特別捜査組長に任命する」
「はっ!」
 舞に向かってあゆが敬礼をする。
「追って正式な任命と辞令を出す。たぶん二、三日後になると思う。それまでは、特捜組のことは他言無用……」
「わかりました」
「要件はこれで終わり。もう、戻っていい……」
「月宮、ご苦労だったな。ほら、帰りの電車賃だ」
 あゆが北川から小銭を受け取る。
 あゆは一度二人に向かって敬礼してから、失礼しましたと言って隊長室を後にした。



「月宮あゆか……」
 北川が今あゆが出て行った扉を見ながら呟いた。
 「はじめ見たときは、こんな奴で大丈夫かと思いましたけど、あの目。あれはなかなかのもんですね」
 北川が、先程のあゆの真剣な目つきを思い出しながら言った。
「隊長。あゆは剣の腕なんかはどうなんですか?」
「今いる隊員の中では、あゆが高尾の次に強かった」
「あいつが? それは意外ですね」
「それに、あゆは現場に出たとき、取り乱す事が全くない。どんなときでも静かに己を保ち、常に事件に集中している。この集中力に関しては、十組長よりも上かも知れない」
「組長よりも……。とてもそうは見えませんが……」
 北川が今さっきまでここにいた、小学生のようなあゆの姿を思い浮かべる。
「潤、物事を外見で判断してはいけない……」
「まぁ、それはそうですが……。今度、手合わせでもしてみますよ。見込みがあったらしごいときます」
「それがいい。ついでに暫くあゆの面倒を見てあげてくれると助かる」
「え? 面倒を見るですか? まぁ、俺は構いませんけど。なんで、また?」
「……あゆは夜の闇の中でも普段どおりの行動ができてしまう。だから、周りの隊員が浮き足立ってる中、一人で突き進んでいってしまうことがよくある」
「それはちょっと危ないですね。平時ならともかく、今みたいに闇ん中を凶暴な悪鬼が徘徊しているときなんかは、一人ではとても対応できない」
「だから、一応組長に任命してみたんだけど……」
「なるほど……。組長は、他の組員の事も頭に入れて行動しなければならない。なぜなら、組長の独り勝手な行動は、下手すると組の全滅に繋がってしまうから。だから月宮も組長になったからには、自分だけでなく、周りの様子にも注意しながら行動するようになるだろうと。そういうことを狙って月宮を組長に?」
「そういうこと。組長を務めていれば、あゆもそうなると思う。あの娘は、それだけのことを考える頭も、それを全うする責任感も持っている。だけど、始めのうちはやっぱり心配だから、潤、あなたにあゆを見ていて欲しいの」
「わかりました。あゆのことは引き受けますよ。けど、そうなると、俺はその特捜組付きになるんですか?」
「顧問という形をとる。その方が潤も自由に動けるから……」
「そうですね。それだとありがたいです」
「それに潤――」
「まだ何かあるんですか?」
「たまには新人と顔を会わせたほうがいい。中野や大久保がよくいってるけど、潤のことを知らない隊員が結構いる」
「ははは……」
 北川は、先程の壬組詰所でのことを思い浮かべながら、バツが悪そうに笑った。

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